才市の口あい一覧 2
旧blogに引用したもの 2009--2019.03
2019.05.18 改
旧blogで引用した口あいです.
やれさぶ やれさぶ
あしもぬくめ てもぬくめ
なむあみだぶで こころぬくめて
(『ご恩うれしや』p.138)
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
わしのこころは せかいのたから
なむあみだぶに なるたから
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.91)
わが罪を心にかけておる人は
それはお慈悲を知らぬから それは
あうちゅうこうちゅう[あっちこっち]
慈悲を心にかけてみなさい
わが罪に用事はなしの花
(鈴木, p.387)
出て行く後生を
疑いと自力
これが邪魔もの
罪の算段無用なり
罪の算段する人は
方角違えて地獄に落ちる
(鈴木,p.310)
仏智不思議を疑うことのあさまし
三十四年 罪の詮索するからよ
罪の詮索無益なり
罪の詮索せぬ人は
暖簾すがりかホタすがり
閻魔の前で いんま後悔
罪の詮索する人は
ここで金剛心をいただく
(楠 2-9 p.239)
ご開山さまも
こいしくば なもあみだぶを とのうべし
わしも六字のうちにこそ住みと いいなさる
こんな さいちよい ありがたいな
へ ありがたくもあったり
ありがとうも なかったり
それが六字の なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.46-47)
罪とともにくるぞ 火の車
いやでもくるぞ 火の車
罪とともにくるぞ 弥陀の名号
いやでもくるぞ 弥陀の名号
すくわれたこと
(『ご恩うれしや』p.234)
きいてたすかるじゃない
なむあみだぶに
もうしとられて
(『ご恩うれしや』p.12)
ききぬけ ききぬけ なむあみだぶを
なむも あみだも みなひとつ
ききぬかせたよ なむあみだぶが
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.11)
わたしやじごくに おちるじゃないよ
じごくは現に すみか すみか
これがじごくの すみかぞかし
(『ご恩うれしや』 p.230)
もうねんを くやむじゃない
もうねんは
よろこびのたね さとりのたね
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』 pp.126--127
さいちや しやわせ
もうねんを しらせてもろうたよ
もうねんは よろこびのたね
かかも もうねん さいちも もうねん
もうねんに もろうたが
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』pp.124--125
ええな せかい こくうが みな ほとけ
わしもそのなか なむあみだぶつ
(楠 1, p.224)
かかさんよい
煩悩が 連ろうて遊んでごせ(一緒に遊んでくれ)言うが
どがあ(どう) しましょうかいな
お 連ろうて遊べよ
どがあ言うて 遊びましょうかいな
念仏申して 連ろうて遊べよ
(『ご恩うれしや』p.114 )
さいちゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
(『ご恩うれしや』p.239)
わたしゃ あなたの わのなかで
十方世界の わのなかで
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
楠 三 p.115(三の第5ノート)
よろこびは せかいにみちて
こころにみちて
せかいもこころも なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.218)
あきましや あさましや
わたしゃ あなたに なんぎ《難儀,苦労》をさせて
わたしやらくらく ねんぶつとなえ
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp.104--105)
なむあみだぶは よいどうぐ
しん《真》もあればぞく《俗》もある
くわんぎ《歓喜》もあればざんぎ《慚愧》もある
さいちは よいものを
いただかせて もらいましたよな
ま ま なんでもええわ
さいちが しやわせ
なむあみたぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.180)
ちがうことは いうじゃない
このままとは ちがいます
ことばは よいが
むねに じりきの根がのこる
はやく ご縁にあいなさい
(『ご恩うれしや』 p.21)
わたしゃ あなたと いわいをしましょう
ぞうぎょう ざっしゅ《雑行雑修》
うたがい じりき みなとられ
いわいをしましょう
なむのさかなに あみだのさけを
のんでにぎわう なむあみだぶつ
(うたがいとられたお祝いよろこび)
『ご恩うれしや』 p.31
わたしゃ こまったことがある
どこをむいても むきぱがないよ
あしをぬべて《投げ出して》 すまんことであります
『ご恩うれしや』 p.60
よるのねざめの ねんぶつは
まあ ま 足どもぬべて
たの《楽》しもよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』p.137
このままで さとりにいるじゃない
このままで
ここがさとりに なるままよ
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』 p.22
おやのかんなんくろう《艱難苦労》の おじひ
これを さいちが ききとると
おもうてをったは そりゃまちがいよ
おやのかんたんくろうの 六字
これにさいちが ききとられ
なむあみだぶに もうされて
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.16--17)
わしの父親 八十四才 往生しました お浄土さまに
わしの母親 八十三で 往生しました お浄土さまに
わしもいきます やがてのほどに
親子三人もろとも(に) 衆生済度の身とはなる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 2-9 p.242--243)
教化きくのに うわ(の空で)できくな
わすれた(の)と ききながすのは ちがいます
法をきくとき しっかりきけよ
わすれたには あじがのこるぞ
ききながしには あじがない
それじゃ いつまできいても だめよ
こころ(を) ちしき《知識》の口にもっていけ
みみを ちしきの口にもっていけ
うわできいても だめよ だめよ
こころに ぶつ《仏》が入りてをることをきくのよ
きいてみれば なむあみだぶつ
これが わしを たすけるほとけ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.14--15)
ありがたいな
聞くたびに 初花さいて
初のみのり《実り,み法》よ
なむあみだぶの中に実らせ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, p.219)
ぼんぶがほとけになることは
ほとけがぼんぶになって
ぼんぶをほとけにすること
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.106)
わしとあなたは うみのみず
ぼんのうのまみずはいれど みなしおで
これがふかしぎ なむあみだぶつ
(『ざんぎとがんぎ』 p.113)
どおり りくつをきくじゃない
あじ《味》にとられて あじをきくこと
なむあみだぶつ
(楠 2-4 p.116)
お浄土は ひがしの門のいりくちに
如来さんは もんばんであります
さいちは きたか きたか
ようきた ようきた いうて
わしをほめなさる
ちゃんと うちねの《自分の家の》 如来さんでありました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
ええたのしみだの
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.72)
さいちがほとけを をがむじゃない
さいちがほとけに をがまれること
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.60)
名号不思議は不思議なお慈悲
わたしゃ忘れて 暮らすのに
忘れなさらぬ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木,ノート25, p.379)
才市が心は どこにおる
才市が心は 娑婆にはおらぬ
才市が心は 六字の内に
ご開山さまも
わしも 六字の内に住むと ゆうておんなさる
ご開山さまも ここが楽しみ
わたくしも ここが楽しみ
あなたも 私も たのしみゃひとつ
ごんうれしや なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠 二, p.47--48, 第2ノートの75番)
才市や幸せ 諸仏の仲間
才市や幸せ 菩薩の仲間
才市や幸せ 釈迦如来さんの仲間
才市や幸せ 御開山の仲間
才市や幸せ 蓮如さんの仲間
才市や幸せ 善知識さまの仲間
才市や幸せ [聖徳]太子さんの仲間
才市や幸せ 七高[僧]さんの仲間
才市やうれしいよ
菩薩の仲間に入れてもろうて
親のご恩があればこそ
親ほど良いものはない
才市よい
へ
親のご恩が知れたら
ご恩報謝の
なむあみだぶを相続するがよい
へ
お有り難うあります ご恩うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木, p.54)
宣教会は 弥陀の会
才市をほとけにする会で
ご開山さま わしが会
(鈴木, ノート 31, p.438)
風はふけども山はいご《動》かぬ
もうねんのかぜはふけども
こころ いごかぬ
なむあみだぶに こころとられて
(『ご恩うれしや』pp.118--119)
さいちよい
へ
いま説教をしたは誰か
へ 安楽寺の和上さんであります
そうではあるまい
へ 蓮如さんであります
そうではあるまい
弥陀の直説 なむあみだぶであります
(鈴木,p.28)
ねんぶつの でぐちがしれぬ
こくうから わしにひびくが
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.151)
ねんぶつには かぎりなし
ねんぶつは こくうのごとく
ねんぶつは せかいのごとく
ねんぶつは うみのうしほのごとく
ねんぶつは やまのきかや《木茅》のごとく
れんぶつは さいちがつみのごとくなり
ねんぶつは
いまはわたしが まるでとられて
(『ご恩うれしや』 p.147)
さいちや
いま息がきれたら どうするか
はい はい
あなたのなかで きれまする
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.223)
おやが ふしぎなら
子までが ふしぎ
ふしぎ ふしぎの なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.83)
手をだすな
みだのおじひに 手をだすな
ぞうぎよう ざっしゅの手をだすな
からかうな
みだのおじひに からかうな
うたがい持って からかうな
いただけよ
みだのおじひを いただけよ
なむあみだぶを いただくばかり
(『ご恩うれしや』,p.24)
こんな名号さんは ふしぎな名号さんよ
くちにあらわれ こころにしられ
わしのこころが あなたのこころ
あなたこころが わたしのこころ
これはふしぎよ
それは そのはず
機法一体 なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.173)
ぐちがでたでた またでたよ
なむあみだぶと 連ろうてでたよ
機法一体 これがこと
よこめふらずに これをたのしむ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.240--241)
はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつもこころで なむあみだぶつ
はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつもぶつぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.166--167)
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまえり
わしのこころに へたまいて
くださる慈悲が なむあみだぶつ
(鈴木, p.190)
むかしは ありがたいことたよりにおもい
なんともないこと ちからをおとし
いまは あろうがあるまいが
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.44)
よろこびは ごおんほうしやのよろこびで
なむあみだぶと いうてよろこぶ
さいち
よろこびを あてにしては をらんかい
いいやの《いいえ》 いいやの
よろこびは かぜのようなもので
あてにはならぬ
ふいてにげるよ あとかたもなし
(『ご恩うれしや』, pp.125--126)
はれた心にあんしんするは
じりき うたがい あくむし《悪虫》よ
(『ご恩うれしや』, p.43)
わたしゃ にげます あなたのまえを
逃げば 逃げ
なむあみだぶに 入れてある
なむあみだぶに つれられて
みだの浄土に にげてゆく
(『ご恩うれしや』, p.190)
わたしゃ あみださんと いくさ《戦》をしたが
いまは あみださんに 返し討たれて
なむあみだぶの なかにうちとり
とられて あんき《安気》
六字のふち《扶持》を あたえてもらい
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp.22-23)
あさましの うきことわ たれにもあるよ
さいちにもある びょうきのやまい
ときのつの 二ほん三ほん はゑてをる
じひのかがみで みりわかる
あさまし あさまし あさましや
あさましいのが このさいち あさまし
あさまし あさましや あさましや
あさましや あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
あさまし あさまし あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠 恭 編『定本 妙好人才市の歌 全』三のp.259)
あさましの
じゃけん《邪見》のつのが
はえたまんまで
おやにとられて なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.108)
ご開山さま ご恩の灯り
わしに あなたの 灯りを見せて
なんの苦もなく 親里に
帰る うれしや 南無阿弥陀仏
才市
あさましが ないならば
みだの浄土は できんのに
あさましが あるゆえに
こさえてもろうた みだの浄土を
(『ご恩うれしや』 pp.208--209)
あさましや
凡夫のこころは
生臭猫よ
にょこにょこと
好いたことには 頭をだすよ
あさましや
慈悲の御手で 頭を押さえ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木, p.330)
わがこころ 見えもせず
りんじゅう《臨終》に 見える心が鬼となる
あさましあさまし
あさましいのも うそよの うそのかわよの
かわ かわ うそのかわ うそのかわ
うそのかわ うそのかわ うそのかわ
あさまし あさまし
あさましいのも うそのかわ
(『ご恩うれしや』 p.99)
あくにあく あくをかさねて
しゃばでも つくる
あさましいとは みなうそよ
うそだ うそだ わしがな みなあくだ
ええもわるいも みなあくだ
(『ご恩うれしや』 pp.102--103)
さいちがこころは そらごとたわごと
まことあることなし
ごかいさんの よう知ってをんなさるよの
如来さんの
さいちを たすけてやるとや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.88)
ありがたいな
こんな《この》 如来さんは
どこいでも《どこへでも》
わしがいくところ
ついてきなさるな
ありがたいな
それが機法一体の なむあみだぶつ
これにたすけられるのが なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp.73--74)
ひといき ひといきが
こん生《今生》の いとまごい
また出るいきが みらいかな
うれしや うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp. 224--225)
あさましや
こんじきの ほとけのまえの
かれたはな
あさましやあさましや
(『ご恩うれしや』 p.8)
電報 判《はん》がいります
ありゃ 浄土から 金が来たかの
判がたった今あったがの
どこいったかいの
急ぐ急ぐ
六字の判でよろしい
これは これ
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
かかよい こんな郵便さんは よい人よ
六字の判の 割判さする《させる》
そりゃ 極楽から来た人だからよ
そうかいな なむあみだぶの 小使いをする人かい
ありがたいの 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
(鈴木大拙『妙好人 浅原才市集』, p.119).
さいちよい へ
たりきを きかせんかい
へ たりきじりきはありません
ただ いただくばかり
(『ご恩うれしや』 pp.52--53)
たりきには
じりきも たりきも ありはせん
いちめん たりき なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.51)
In Other Power
There is no self-power, no Other Power.
All around is Other Power.
Namu-Amida-butsu, Namu-Amida-butsu.
たりきには
じりきもなし たりきもなし
ただ いちめんの たりきなり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『Great Living: In the Pure Encounter between Master and Disciple』 by Kemmyo Taira Sato, New York, 2010, p.73,p.176)
ぐちが起きたよ また起きた
ぐちがないなら 御恩も知れぬとゆうて《言って》あさまし
とゆうて《言って》あさまし
わが親の慈悲はよい慈悲で
ぐちを御恩にまるめ まるめられ
御恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, p.67)
あさましや
わしのこころの かわりめしれぬ
こころかわりの はやいこと
くるくると
ようかわる ようかわる
こんなこころが あなたにとられ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.87)
わしのこころは わやわやで
くもともとれぬ
きりともとれぬ
かぜともとれぬ
とりとめのつかぬ このこころ
しょうがない
さいちたすける おやのおじひよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.87--88)
才市が心は ヒョウタンで
いつも うかうか
なむあみだぶの 風に吹かれて
浮いて流れる 弥陀の浄土へ
(鈴木, pp.289--290)
才市が病気は
なむあみだぶを のみこめばなおるか
いや ひんなら《そうなら》どうすればなおるか
へ 才市が病気は
なむあみだぶさまに
のみこまれるで なおるであります.
さいちゃ 六字のがんやく《丸薬》に
まるでのまれて
六字のなかで おんれいほうしゃ
ほうしゃするのも ふしぎなものよ
ふしぎふしぎで ほうしゃするのよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.178--179)
浮世のことは あてにはならぬ
なったことが くるっとかやる《かえる,ひっくりかえる》
あてになるのは なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.239)
ほとけとは ほとけ ゆわする《言わせる》 ほとけから
しんきち には ほとけの種がありまする
これは しんきち と才市が談合の話でありまする
大正三年十一月十三日の大浜屋の小屋の戸口で
談合いたしました
みなさん しんきち をかわいがうてやりてくだされ《可愛がってやってくだされ》
どうぞたのみます
しんきち もこの才市も
如来さんに守られておることがわかりました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木, p.34)
こころの門は弥陀の門
耳の門の あくときは
一念帰命なむあみだぶつ
(楠, 三, p.193)
わたしゃ七十九歳
娑婆の日暮れが 極楽の夜明け
目が境 なむあみだぶつ
(楠, 三, p.86)
わしの父親 八十四才
往生しました お浄土さまに
わしの母親 八十三で
往生しました お浄土さまに
わしもいきます やがてのほどに
親子三人もろともに
衆生済度の身とはなる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
さいちゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
わしの心の暗めに
名号不思議のあかりをつけてもろうて
ご恩よろこべ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 三, p.136)20110611
信のないひと わしゃおそろしや
ざんぎの水が ないからよ
信のあるひと わしゃこいし
ざんぎの水が あるからよ
(『ご恩うれしや』, p.9)
十八願は直の法
十九,二十は直の前なり
(鈴木, p.293)
ねんぶつは
言うてもうす《申す》ねんぶつには
あじもなし
ねんぶつ
言われてもうすねんぶつには
ふかきあじの あるなり
(『ご恩うれしや』, p.162)
いさみ いさんで ねんぶつとなえ
みださまに ごくよう《供養》もうそうや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.146)
わがまよい
ふるさとは
なむあみだぶつ
ただなしの
ただのただもいらぬ
ただのただなり
やれ らくなのう
おもに《重荷》 とられて らくらくのらく
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.31--32)
なつかしや 京都の国は なつかしや
これは 浄土の一の門
なむあみだぶの 門の入口 京都の味わい
なつかしや 越後の国は なつかしや
これは 浄土の二の門で
なむあみだぶの 門の入口 越後の国の味わい
信濃の国は よい国で
しのもんのあるくにで
しなれのもんのいきるくに
あむあみだぶに 入らす 門の口 信濃の国の味わい
石見の国は よい国で
才市に向こうてくださる慈悲が
弥陀の門
なむあみだぶの門の入口
石州小浜は よいところ
知識にあわせて 弥陀を聞く
なむあみだぶの 門に入らせて 安楽寺の味わい
(楠 一, pp.197 -- 199)
さいちよい
御開山のご旧跡は どこか
わしのこころに ご旧跡
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 二, p.72)
才市よい
われが《お前の》浄土参りは
いよいよ解ったか
へえ
わたしが浄土参りは
わたしが方ではわかりません
そがな《そんな》ことは
おや《阿弥陀さま》でなけらんにや《なければ》 わかりません
(鈴木, p.264)
才市は 一念慶喜は いつ済んだ
へ わたしが一念慶喜は とうに済みました
わたしが知らぬうちに 済みました
わたしが知らぬうちに
如来さんの《が》 先に済めていてやんなさった
わたくし ええ如来さんに あいました
才市は こののちは どうして日を暮らす
あさましいで 日を暮らします
(楠, 一, p.100)
あさましや
親のご恩を忘れて暮らす
どこからか
わしゃ知らねども ご催促
聞いてみれば
なむあみだぶの ご催促
また来たよ 浄土から
(鈴木, p.255)
こころ ころころ ころころで
六字のなかで こころ ころころ
これでたのしみ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.89)
法然さまは 六万べん
さいちや ときどき
六万べんも ときどきも ひとつこと
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.168)
さいちは
ねんぶつとなえて まいるでなし
わすれんで まいるでなし
ほとけに だきとられてまいること
(『ご恩うれしや』,pp.189--190)
こころで まいるじゃない
しんじんに こころとられて まいること
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.42)
京も田舎も ぶつこえ《仏声》ひとつ
わたしゅ《わたしを》 助ける仏の声
なんまんだぶつ なんまんだぶつ
(楠 三, 2-3, p.43)
経を読めども 経を知らず
経に読まれて 経を知る
経は
経に心を才市が取られ
経は なむあみだぶつ
経の心を知らせてもらい
経の心は なむあみだぶつ
(鈴木, pp.41--42)
わたしゃ七十七で
あなたは十八 若娘
それでも わしが好きだとの
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠,二,p.164)
わたしゃ しあわせ 卵で生まれ
ピヨピヨと
鳴く声きけば なむあみだぶつ
(楠,三,p.73)
わたしゃ しあわせ
御開山さまと 一味での
ご恩うれしや なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.64)
あさまし あさまし
邪見 きょうまん 悪才市
邪見 きょうまん 悪才市
あさまし 邪見 きょうまん 悪才市
あさまし あさまし 悪才市
ひとのものは なんぼでもほしい
取っても 取っても ほしい
ほしい ほしいの つのがはえ
あさまし あさまし あさまし
邪見ものとは この才市がことよ
この才市には
ひとが おそれております
それに《それだのに》
ひとが 知らんと 思うております
(『ご恩うれしや』 pp.95--96)
この闇が
六字の月に 照らしとられて
娑婆ながら
六字のなかに おるぞうれしや
(楠, 二, p.219)
わしのうたがい うみよりふかい
わしのうたがい やまよりたかい
わしのうたがい せかいのごとく
それにおじひが くっついて
くださるおじひが なむあみだぶつ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.25)
わしのこころの つみいわぬ
わしのこころの つみ しらせてくださる
わしがおやさま なむあみだぶつ
わしのつみ
いまは六字の 火がついて
わしのこころも いまはほやほや
ぽんや ぽんや ぽんや
わしも六字も なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.184)
バクチ打つなら 阿弥陀と打ちやれ
六がころころ 六字ばっかり
これを 才市にとらするぞ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠, 一, p.48)
才市 心をあとから見れば
蛙姿に よお似ておるよ
前の手をつき あおのいて
教化聞けども いつもぶるうと
教化の水の中に おること知らず
ありがたや 教化の水が 今知られ
教化の水の 知られたのは
知識 如来の ご恩のおかげ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 一, p.16)
わたしゃ困ったことがある
胸に歓喜のあげたとき
これを書くことできません
なむあみだぶとゆうて書け
(楠, 一, p.97)
わしの こころ
久遠もいまも かわりゃない
かわったものは なむあみだぶつ
わしにさとりを ひらかすおじひ
(『ご恩うれしや』, pp.90--91)
生死の苦海 渡ること
なむあみだぶの橋がかけてある
私ゃ なむあみだぶの上におる
(『ご恩うれしや』, p.247)
弥陀の樋
弥陀の尊い 弥陀の樋
知識 口から私の心
かけてもろたよ 六字の樋を
浄土の水の 味のうまさを
わしの心 つぎ込まれ
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
(楠, 一, p.6)
楽しみは 向こうから
呼ばれて楽しむ
お慈悲から
(鈴木, p.254)
おにがくるか じゃがくるか
しらずにくらす おやのふところ
さいちや よい気でなむあみだぶつ
ちちをのみのみ
おやのかお見て なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.79)
わるいことは せんがよい
わるいこと こころとがめて
法のじゃまもの
ごおんよろこぶじゃまをする
(『ご恩うれしや』, p.112)
娑婆の世界は 浄土の小庭
小庭見させて 浄土たのしむ
なむあみだぶつ
(楠 三, p.73)
わしのこころは くをんのひでり
いまは六字のみずをもろうて
(『ご恩うれしや』, p.108)
みだの浄土に かえるひと
なんの苦もなく うきよをすごす
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.209)
ぐちがでたでた またでたよ
なむあみだぶと 連ろうてでたよ
機法一体 これがこと
よこめふらずに これをたのしむ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.240--241)
才市よい うれしいか ありがたいか
ありがたいときゃ ありがたい
なっとも《なんとも》ないときゃ なっともない
才市 なっともないときゃ どぎぁすりゃあ《どうするか》
どがあも《どうとも》 しようがないよ
なむあみだぶつと ドングリヘングリしておるよ
今日も 来る日も やーいやーい
(楠, 二, p.240)
愚痴が出た出た また出たよ
なむあみだぶと つろうて出たよ
機法一体 これがこと
横目振らずに これを楽しむ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠, 一, pp.43--44)
ままにしょうてて《しようとしても》 そりゃ無理よ
ままになるなら 月の丸さも 欠けはせん
(『さんぎとかんぎ』, pp.83--84)
なにごとも凡夫のたのしみ 水のあわ
けえて《消えて》 ふくれて またけえて
しまいにゃ び び 泣くばかり
つまらん つまらん
のちはじごくに おちるかな
(『ご恩うれしや』, p.231)
わしの生まれは 地獄の生まれ
わたしゃ旅犬 尾をすべて《すぼめ》
浮き世を過ごす なむあみだぶと
(鈴木, pp.259 -- 230)
才市や なんで働くか
へ わたくしゃ なむあみだぶで 働きまする
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004). 引用はpp.223
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, p36).
ありがたいな
娑婆ですること
家業 営みすることが
浄土の荘厳に
これがかかわるぞよ
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004) 引用はpp.223
(楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, p.94).
浮世働き諸仏とするよ
浮世働き菩薩とするよ
親に守られ先に参ったる人 おるぞよ
なもあみだぶの中で遊ぶよ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004). 引用はpp.223 -- 224
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, p.285).
目にみえぬ じひがことばにあらわれて
なむあみだぶと こえでしられる
なむあみだぶを きくときは
おやの名に こめられてきく
なむあみだぶつ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.150--151)
報恩講
それに参るは才市でござる
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
これは大福長者 才市は長者
(鈴木, p.242)
ありがたいの ありがたいの
ありがたいのが あなたのじひで
うれしゅないのが わたしのこころ
うれしかろうが かるまいが
機法一体 なむあみだぶつ
これがしれたら ありがたい
(『ご恩うれしや』, p.130--131)
もうねんを くやむじゃない
もうねんは
よろこびのたね さとりのたね
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.116 -- 117)
わしのくよくよ もやもやに
六字が入りて ご化導なさる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(鈴木, p.310)
末代無智は
末代の わしを相手の
末代の
なむあみだぶの御文章さまよ
(楠, 二, p.192)
こんな さいちよい
へ
あのな 末代無智の御文章さまは だれがか《だれのか》
ありゃ わしがであります
なして[どうして?]
それでも あなた
たとゑ罪業は深重なりとも 必ず弥陀如来は救いましますべし[と]
いいなさるけ[おっしゃるから] わしがものでありますよ
なむあみだぶと ゆうてあります
(楠, 二, pp.71--72)
蓮如さまは 慚愧が強い
御開山は 慚愧が強い
わしがな うそ うそ
あさましや あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.249)
法敬さまと蓮如さま
お名は変われど 心はおなじ
あさましの わしをたすけるみのり≪法≫なり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 三, p.192)
蓮如さまでも法敬を相手
大悲の親は才市ゅ相手に
(鈴木, pp.105 -- 106)
知ることも 信ずることも 過去の種
過去に種を 植えられて
今に生えたが なむあみだぶつ
(楠, 二, p.208)
まかぬたね まいた覚えのないたねが
こころに生える なむあみだぶつ
(楠, 三, p.288)
さきのみやこ[お浄土]が あるゆえに
浮世はたらき すりゃおもしろい
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.209)
才市ゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
(『ご恩うれしや』, p.239)
ええな
世界虚空がみなほとけ
わしもその中
なむあみだぶつ
わしのよろこび こくうのごとく
こうくせかいも なむあみだぶつ
ここにわたしを すまいをさせて
くださるじひが なむあみだぶつ
(当日のレジュメ, p.18)
なむあみだぶは 日なり 月なり
機も法も みなわかる
てらされて あさまし あさまし
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.144) (2-5-42)
なむぶつは よいかがみ
法もみえるぞ 機もみえる
あさまし あさまし ありがたい
あみだのこころ みるかがみ
(『ざんぎとかんぎ』, p.73)
さいちがしやわせ ぶつ《仏》になる
しゅ上さいど《衆生済度》の ぶつになる
なむあみだぶと もうすほとけに
(楠,一, p.190)
わしがおやさま よいおやさまで
おやひとり 子ひとりで
なむのこどもに あみだのおやが
衆生さいどをさせてよろこぶ
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』, pp.66--67)
わしのこころの あさましの
鳴子になれて 邪見 日暮し
あさましと 口には言えど
いまもこころに
山の門跡さまを 尊むもなし
あさまし あさまし あさましや
親にはなれてみりゃ邪見
親にとられて なむあみだぶつ
(『さんぎとかんぎ』, pp.110--111)
わしのこころは くらめのくらめ
くらめとられて なむあみだぶつ
(楠, 二, p.145)
こんな才市は書くことはやめりゃええだ
いいや こがな楽しみはありません
やめらりゃしません
死ぬるまではやみ《やめは》しません
法を楽しむ[には]書くもんであります
まことにゆかいな楽しみであります
名号のなせることの楽しみ
なむあみだぶであります
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(楠三, ノート9の36)
さいちや ほとけが みたいなら
こころを みいよ[見よ]
機法一体 なむあみだぶつ
これが さいちが おやさまよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.64)
恋しくば なむあみだぶを 称うべし
才市が心に住む弥陀よ
(『ざんぎとかんぎ』, p.65)
五十二段の親さまが
私に降りて わしになり
なあむあみだぶと申す親さま
『ざんぎとかんぎ』, p.108
お六字は しゃばではぼんぶ
みらいは ほとけ なむあみだぶつ
きほをひとつのあじわい
(『ざんぎとかんぎ』, p.106)
ぼんぶがほとけになることは
ほとけがぼんぶになって
ぼんぶをほとけにすること
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.106)
わしの悪事が みな見える
地獄も見える 極楽も
見えるはずよの 六字の鏡
これが他力の なむあみだぶつ
他力鏡は よい鏡
さきの楽しみ なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』, p.118)
[...]
代々相承の
[聖徳]太子さま 七高僧さまのご恩
御開山さまのご恩
[...]
相承の善知識さまのご恩は
山とも海とも天とも地とも
深いご恩を
この度は 受けさせてもらいましたのに
[...]
(楠二, 9:34)
信心は 衆生済渡の元入れで
もろうて[もらって] いただく なむあみだぶつ
しんじんわ,しゆ上さいどのもとゑれで,
もろをていただく,なむあみだぶつ.
(楠二, 04:068)
なむあみだぶは
わしの心に花咲く領解(りょうげ)
花をもろおて 花見する (才市)
(楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, 第4ノート, 92番(p.176))
わたしや しやわせ
鐘の音 聞く耳もろうた
なむあみだぶの ごさいそく
なむあみだぶを 聞けよのことよ
(鈴木, 04:071)
鐘の音 こころに響く 鐘の音
今はあなたの をな《お名》に ひびきとられて
(鈴木, 11:075)
わたしや あなたのこころもろをて
なむあみだぶつ。
(楠三 06:097)
祖師さまは
弥陀のご恩を とをとむ(尊む)知識
とをとがらする わたくしにも
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, 02:049, p.23)
ねんぶつは
こころに ろくじの あかりをつけて
これがたのしみ なむあみだぶつ
(楠三, 10-041, p.270)
ありがたや
としが増すほど
よろこびゃ
ますよ
ごおんうれしや
なむあみだぶつ
(才市 『ご恩うれしや』, p.270)
わたしや うれし
凡夫の根切りをしてもろて
あうてないのも をなじこと
うれし うれしの なむあみだぶつ
(楠一, 06:029, pp.223-224)
信のないひと わしゃおそろしや
ざんぎの水が ないからよ
信のあるひと わしゃこいし
ざんぎの水が あるからよ
(才市さん『ご恩うれしや』, p.9)
祈り祈祷が ならぬが繁盛
これが阿弥陀の南無阿弥陀仏
(k3-05:054)
なんぼ きいても ききあかぬ
いかに さいちは とんよく強い
おやにもろうた とんよくで
天地はれての とんよくよ
なむあみだぶを これでいただく
(才市さん,『ご恩うれしや』, pp.113--114)
私ゃ仕合せ 私ゃ仕合せ
手もとう《届く》し
かご《屈》みもせずに 花のこずゑを
ご恩うれしや なむあみだぶつ
・・・
(才市さん,sd-03:084)
私ゃ仕合せ 私ゃ仕合せ
手もとう《届く》し
かごみもせずに 花のこずゑを
ご恩うれしや なむあみだぶつ
法を聞くにも よい身を貰うて
わたしゃ仕合せ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん,sd-03:084)
才市ゃ 人間に 出いてもろうて
親にもろうた なむあみだぶを
出いて喜ぶ 心もろうて
もろたも他力 もろうたも他力
(才市さん, sd-18:013)
蓮如さまは よい人よ
ご文章さまを こしらえて
これを才市が まるもらい
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(才市,k1-02:057)
お浄土は ひがしの門のいりくちに
如来さんは もんばんであります
さいちは きたか きたか
ようきた ようきた いうて
わしをほめなさる
ちゃんと うちねの《自分の家の》 如来さんでありました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
ええたのしみだの
なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩うれしや』, p.72)
御開山さまは どういうええこと《良いこと》を
教えてくださろうかいの《くださるのだろうかな》
恋しくば なむあみだぶを とのう《称える》べし
われも《わたしも=御開山様も》 六字の内にすむと[教えなさる]
(才市さん,sd-29:050)
胸に吹く風 弥陀の名号
いつも吹く吹く
南無阿弥陀が
風も雨も一度に吹く降る
機も法もいちどきに
吹いたり降ったり
ご恩うれしや南無阿弥陀仏
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート16の180番, p.267).
ふくふくと 胸に吹く風
弥陀の国から 吹いてくる風
胸に当たるぞ そよそよと
おもしろや
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート7の33番, pp.92--93)
さいちが かかさん≪母さん≫の名はなんとういうか
へ わたしがかかさんの名は
あみださんと もうします
かかさんの声は どんな声がするか
へ 声はなむあみだぶつの声がしまするよ
さいちが名は なんというか
へ なむといいます
(『ご恩』, pp.78--79)
たからたから 小浜はたから
知識ありゃこそ 小浜はたから
今が知識 あい時よ
(才市,sd-01:094, p.14)20160602_02
さいちゃ
りん終すんで 葬式すんで
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて
なむあみだぶと うきよにをるよ
(『ご恩うれしや』 p.204)
有漏の穢身は変わらねど
自力が他力にしてもろて(貰って)
浄土で遊ぶ 南無阿弥陀仏
(才市さん, sd-26:052, p.378)
さいちゃ
りん終すんで 葬式すんで
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて
なむあみだぶと うきよにをるよ
(才市さん, 『ご恩うれしや』, p.204)
才市がこころに ぬしと《ぬすっと=盗人》が 入った
才市がこころを 取りに来た
あむあみだぶつに 積んでいぬるよ《去ぬるよ=帰るよ》
(才市さん,az-02:163)
酔うた酔うた
なむあみだぶの 酒に酔うたよ
才市よい われも酔うたか わしも酔うたよ
如来さんよい これから浄土に いにましょうや(帰りましょうよ)
(才市さん.sd-05:064)
極楽は見たことないに
ここで知られる
なむあみだぶつ
(才市さん, az-02:037)
あさましや わたしゃ下駄職 虫ゅ殺す
荒木こんのを(墾納=仕上げ)するときは
生き虫殺す罪作り
わしの罪 世界の虫ほど罪がある
ここでこの罪こらえてもらう
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
(才市さん,sd-01:018)
よろこびは あなたので
わたしゃ あなたの もらいよろこび
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩』, p.128)
ありがたや としが増すほど
よろこびゃ ますよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩うれしや』,p.270)
喜びは朝日に掛かる雲も照らされ
(楠恭編『妙好人才市の歌 全』の二, 第2ノート, 20番, p32)
よろこびは胸にある
また雲が掛ける[掛かる]かい
掛けば掛け
またお前も照らされて
掛けば掛け
掛けるこそよいよ 身が楽で
掛けるこそ 慚愧のもととなる
うれしや なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん 楠二, 02:21)
わが迷い ふるさとは なむあみだぶつ
(楠三-02-059, p.63)
ごくらくは ほんらい おやのさと
おやのさとこそ わしがさと
なむあみだぶと もうすさとなり
(才市さん,『ご恩うれしや』)
こころは娑婆の旅
わしのこころは地獄の生まれ
旅犬が尾をすべて
浮世をすごす
なむあみだぶつ
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート29の22番, p.415)
才市が あさましさんがありがたい
南無さんを当ててもろうて
弥陀さまになること いただくこと
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん,鈴木-30:090)
才市が母親 弥陀仏で
才市が父親 釈迦仏で
才市が親さま 慈悲な親さま
見真大師の あかりをつけて
雑行自力の 闇を取られて
なむあみだぶの あかりをもろうて
迷いのこころ これでわかるぞ
ご恩うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん,鈴木-04:004)
むつかしく
思えば自力疑いの
心にとられて末は地獄よ
得てみれば
何の造作もない六字
心とられて弥陀の浄土に
(才市, sd-19:054)
安楽寺和上さんの扇子の字のかたどり
わたしゃ迷いの黒烏
夕日まで[夕方まで]照らされて
なむあみだぶの餌食(えばみ)貰うて
朝までとまる法の松木に
わたしゃよいもの頂戴したよ
烏が転じて白鷺になる
ご縁をもらいましたよ
これは愉快な楽しみであります
(才市さん, 鈴木 2:007)
才市よい うれしいか ありがたいか
ありがたいときや ありがたい なつともないときや なつともない
才市 なつともないときや どぎあすりや
どがあも仕様がないよ なむあみだぶと どんぐり へんぐりしてゐるよ
今日も 来る日も やーい やーい。
わしのこころの かわりめしれぬ
こころかわりの はやいこと
こころ ころころ ころころで 六字のなかで こころ ころころ
これでたのしみ なむあみだぶつ<
煩悩が 連ろうて遊んでごせ(一緒に遊んでくれ)言うが
どがあ(どう)しましょうかいな
お 連ろうて遊べよ
どがあ言うて 遊びましょうかいな
念仏申して 連ろうて遊べよ
(『ご恩うれしや』, p.114 )
ありがたいな
はらのなかでも ものをいう
わしがおやさま 大けなおやで
しゃばは おやのはら
うまれるさとは おやのさと
(『ご恩うれしや』, p.247)
わしの心の燃え立つなかに
入《い》りてくださる
なむあみだぶつ
(才市, 鈴木, 12:047)
ありがたい
祖師のご恩と
弥陀の恩
恩と恩とで
なむあみだぶつ
(鈴木, 12:070)
ええな
世界 虚空がみなほとけ
わしもそのなか
なむあみだぶつ
(才市,楠一, 06:030)
法《みのり》の船は六字の船で
六字の船に乗りぬれば
六字の風にまかせとられて
(才市さん.楠1-05:133)
法《みのり》の船は六字の船で
六字の船に乗りぬれば
六字の風にまかせとられて
(才市さん.楠1-05:133)
こころ ころころ ころころで
六字のなかで こころころころ
これでたのしみ なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩』, p.89)
わしとあなたは 海の水
煩悩の真水は入れど みな塩で
これが不思議 なむあみだぶつ
(才市さん, 『慚愧と歓喜』, p.113)
しゃばも浄土も みなひとつ
十方みじんせかいも わしがもの
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.199)