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才市の口あい一覧 2
旧blogに引用したもの 2009--2019.03
2019.05.18 改

旧blogで引用した口あいです.


やれさぶ やれさぶ
あしもぬくめ てもぬくめ
なむあみだぶで こころぬくめて
(『ご恩うれしや』p.138)
[才市] なむあみだぶで こころぬくめて 2009年12月23日 (水)

なむあみだぶつ なむあみだぶつ
わしのこころは せかいのたから
なむあみだぶに なるたから
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.91)
[才市] わしのこころは せかいのたから 2009年12月27日 (日)

わが罪を心にかけておる人は
それはお慈悲を知らぬから それは
あうちゅうこうちゅう[あっちこっち]
慈悲を心にかけてみなさい
わが罪に用事はなしの花
(鈴木, p.387)
[才市] わが罪に用事はなしの花 2010年1月 3日 (日)

出て行く後生を
疑いと自力
これが邪魔もの
罪の算段無用なり
罪の算段する人は
方角違えて地獄に落ちる
(鈴木,p.310)
[才市] 罪の算段する人は 方角違えて地獄に落ちる 2010年1月 3日 (日)

仏智不思議を疑うことのあさまし
三十四年 罪の詮索するからよ
罪の詮索無益なり
罪の詮索せぬ人は
暖簾すがりかホタすがり
閻魔の前で いんま後悔
罪の詮索する人は
ここで金剛心をいただく
(楠 2-9 p.239)
[才市] 罪の詮索せぬ人は,暖簾すがりか,ホタすがり 2010年1月15日 (金)

ご開山さまも
こいしくば なもあみだぶを とのうべし
わしも六字のうちにこそ住みと いいなさる

こんな さいちよい ありがたいな
へ ありがたくもあったり
ありがとうも なかったり
それが六字の なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.46-47)
[才市] ご開山さまも こいしくば なもあみだぶを とのうべし 2010年1月16日 (土)

罪とともにくるぞ 火の車
いやでもくるぞ 火の車
罪とともにくるぞ 弥陀の名号
いやでもくるぞ 弥陀の名号
すくわれたこと
(『ご恩うれしや』p.234)
[才市] いやでもくるぞ 弥陀の名号 2010年1月21日 (木)

きいてたすかるじゃない
なむあみだぶに
もうしとられて
(『ご恩うれしや』p.12)
[才市] 聞いて助かるじゃない 2010年1月30日 (土)

ききぬけ ききぬけ なむあみだぶを
なむも あみだも みなひとつ
ききぬかせたよ なむあみだぶが
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.11)
[才市] 聞き抜け 聞き抜け 南無阿弥陀仏を 2010年2月 3日 (水)

わたしやじごくに おちるじゃないよ
じごくは現に すみか すみか
これがじごくの すみかぞかし
(『ご恩うれしや』 p.230)
[才市] 地獄は現にすみか 2010年2月13日 (土)

もうねんを くやむじゃない
もうねんは
よろこびのたね さとりのたね
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』 pp.126--127
[才市] 妄念は喜びの種,覚りの種 2010年2月24日 (水)

さいちや しやわせ
もうねんを しらせてもろうたよ
もうねんは よろこびのたね
かかも もうねん さいちも もうねん
もうねんに もろうたが
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』pp.124--125
[才市] 嬶も 妄念 才市も 妄念 2010年2月28日 (日)

ええな せかい こくうが みな ほとけ
わしもそのなか なむあみだぶつ
(楠 1, p.224)
ブログのタイトルを変更しました 2010年3月 1日 (月)

かかさんよい
煩悩が 連ろうて遊んでごせ(一緒に遊んでくれ)言うが
どがあ(どう) しましょうかいな
お 連ろうて遊べよ
どがあ言うて 遊びましょうかいな
念仏申して 連ろうて遊べよ
(『ご恩うれしや』p.114 )
[才市] 念仏申して 連ろうて遊べよ 2010年3月 3日 (水)

さいちゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
(『ご恩うれしや』p.239)
[才市] 南無阿弥陀仏の 花ざかり 2010年3月 7日 (日)

わたしゃ あなたの わのなかで
十方世界の わのなかで
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
楠 三 p.115(三の第5ノート)
[才市] わたしゃ あなたの 輪の中で 2010年3月10日 (水)

よろこびは せかいにみちて
こころにみちて
せかいもこころも なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.218)
[才市] よろこびは せかいにみちて 2010年3月17日 (水)

あきましや あさましや
わたしゃ あなたに なんぎ《難儀,苦労》をさせて
わたしやらくらく ねんぶつとなえ
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp.104--105)
[才市] わたしゃ あなたに 難儀をさせて 2010年3月25日 (木)

なむあみだぶは よいどうぐ
しん《真》もあればぞく《俗》もある
くわんぎ《歓喜》もあればざんぎ《慚愧》もある
さいちは よいものを
いただかせて もらいましたよな
ま ま なんでもええわ
さいちが しやわせ
なむあみたぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.180)
[才市] 歓喜もあれば慚愧もある 2010年3月28日 (日)

ちがうことは いうじゃない
このままとは ちがいます
ことばは よいが
むねに じりきの根がのこる
はやく ご縁にあいなさい
(『ご恩うれしや』 p.21)
[才市] このままとは ちがいます 2010年3月31日 (水)

わたしゃ あなたと いわいをしましょう
ぞうぎょう ざっしゅ《雑行雑修》
うたがい じりき みなとられ
いわいをしましょう
なむのさかなに あみだのさけを
のんでにぎわう なむあみだぶつ
(うたがいとられたお祝いよろこび)
『ご恩うれしや』 p.31
[才市] 南無の肴に阿弥陀の酒を 飲んで賑わう南無阿弥陀仏 2010年4月 3日 (土)

わたしゃ こまったことがある
どこをむいても むきぱがないよ
あしをぬべて《投げ出して》 すまんことであります
『ご恩うれしや』 p.60
[才市] 足を投げ出して 2010年4月11日 (日)

よるのねざめの ねんぶつは
まあ ま 足どもぬべて
たの《楽》しもよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』p.137
[才市] 足を投げ出して 2010年4月11日 (日)

このままで さとりにいるじゃない
このままで
ここがさとりに なるままよ
なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』 p.22
[才市] このままで ここがさとりに なるままよ 2010年4月15日 (木)

おやのかんなんくろう《艱難苦労》の おじひ
これを さいちが ききとると
おもうてをったは そりゃまちがいよ
おやのかんたんくろうの 六字
これにさいちが ききとられ
なむあみだぶに もうされて
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.16--17)
[才市] これに才市がききとられ 2010年4月18日 (日)

わしの父親 八十四才 往生しました お浄土さまに
わしの母親 八十三で 往生しました お浄土さまに
わしもいきます やがてのほどに
親子三人もろとも(に) 衆生済度の身とはなる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 2-9 p.242--243)
[才市] わしの父親 八十四才 往生しました お浄土さまに 2010年4月25日 (日)

教化きくのに うわ(の空で)できくな
わすれた(の)と ききながすのは ちがいます
法をきくとき しっかりきけよ
わすれたには あじがのこるぞ
ききながしには あじがない
それじゃ いつまできいても だめよ
こころ(を) ちしき《知識》の口にもっていけ
みみを ちしきの口にもっていけ
うわできいても だめよ だめよ
こころに ぶつ《仏》が入りてをることをきくのよ
きいてみれば なむあみだぶつ
これが わしを たすけるほとけ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.14--15)
[才市] 忘れたには味がのこる 2010年5月16日 (日)

ありがたいな
聞くたびに 初花さいて
初のみのり《実り,み法》よ
なむあみだぶの中に実らせ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, p.219)
[才市] 聞くたびに 初花さいて 初のみのりよ 2010年5月19日 (水)

ぼんぶがほとけになることは
ほとけがぼんぶになって
ぼんぶをほとけにすること
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.106)
[才市] 凡夫が仏になることは(藤実無極先生のご紹介) 2010年5月27日 (木)

わしとあなたは うみのみず
ぼんのうのまみずはいれど みなしおで
これがふかしぎ なむあみだぶつ
(『ざんぎとがんぎ』 p.113)
藤実無極先生のご紹介 その2 2010年5月30日 (日)

どおり りくつをきくじゃない
あじ《味》にとられて あじをきくこと
なむあみだぶつ
(楠 2-4 p.116)
[才市] 道理 理屈を聞くじゃない 2010年6月 2日 (水)

お浄土は ひがしの門のいりくちに
如来さんは もんばんであります
さいちは きたか きたか
ようきた ようきた いうて
わしをほめなさる
ちゃんと うちねの《自分の家の》 如来さんでありました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
ええたのしみだの
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.72)
welcome a baby into the world 2010年6月 9日 (水)

さいちがほとけを をがむじゃない
さいちがほとけに をがまれること
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.60)
[才市] 才市がほとけに 拝まれること 2010年6月14日 (月)

名号不思議は不思議なお慈悲
わたしゃ忘れて 暮らすのに
忘れなさらぬ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木,ノート25, p.379)
[才市] わたしゃ忘れて暮らすのに 2010年6月20日 (日)

才市が心は どこにおる
才市が心は 娑婆にはおらぬ
才市が心は 六字の内に
ご開山さまも
わしも 六字の内に住むと ゆうておんなさる
ご開山さまも ここが楽しみ
わたくしも ここが楽しみ
あなたも 私も たのしみゃひとつ
ごんうれしや なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠 二, p.47--48, 第2ノートの75番)
[才市] 才市が心は 六字の内に 2010年6月27日 (日)

才市や幸せ 諸仏の仲間
才市や幸せ 菩薩の仲間
才市や幸せ 釈迦如来さんの仲間
才市や幸せ 御開山の仲間
才市や幸せ 蓮如さんの仲間
才市や幸せ 善知識さまの仲間
才市や幸せ [聖徳]太子さんの仲間
才市や幸せ 七高[僧]さんの仲間
才市やうれしいよ
菩薩の仲間に入れてもろうて
親のご恩があればこそ
親ほど良いものはない
才市よい

親のご恩が知れたら
ご恩報謝の
なむあみだぶを相続するがよい

お有り難うあります ご恩うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木, p.54)
[才市] 才市は幸せ 諸仏の仲間 2010年6月30日 (水)

宣教会は 弥陀の会
才市をほとけにする会で
ご開山さま わしが会
(鈴木, ノート 31, p.438)
[才市] 宣教会は 弥陀の会 2010年7月 4日 (日)

風はふけども山はいご《動》かぬ
もうねんのかぜはふけども
こころ いごかぬ
なむあみだぶに こころとられて
(『ご恩うれしや』pp.118--119)
[才市] なむあみだぶに 心とられて 2010年7月 7日 (水)

さいちよい

いま説教をしたは誰か
へ 安楽寺の和上さんであります
そうではあるまい
へ 蓮如さんであります
そうではあるまい
弥陀の直説 なむあみだぶであります
(鈴木,p.28)
[才市] 弥陀の直説 なむあみだぶであります 2010年7月11日 (日)

ねんぶつの でぐちがしれぬ
こくうから わしにひびくが
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.151)
[才市] 虚空から わしに響くが 南無阿弥陀仏 2010年7月18日 (日)

ねんぶつには かぎりなし
ねんぶつは こくうのごとく
ねんぶつは せかいのごとく
ねんぶつは うみのうしほのごとく
ねんぶつは やまのきかや《木茅》のごとく
れんぶつは さいちがつみのごとくなり
ねんぶつは
いまはわたしが まるでとられて
(『ご恩うれしや』 p.147)
[才市] 念仏には 限りなし 2010年7月25日 (日)

さいちや
いま息がきれたら どうするか
はい はい
あなたのなかで きれまする
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.223)
[才市] いま息がきれたら どうするか 2010年7月28日 (水)

おやが ふしぎなら
子までが ふしぎ
ふしぎ ふしぎの なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.83)
[才市] 親が不思議なら子までが不思議 2010年8月 4日 (水)

手をだすな
みだのおじひに 手をだすな
ぞうぎよう ざっしゅの手をだすな
からかうな
みだのおじひに からかうな
うたがい持って からかうな
いただけよ
みだのおじひを いただけよ
なむあみだぶを いただくばかり
(『ご恩うれしや』,p.24)
[才市] 弥陀のお慈悲に手をだすな 2010年8月 8日 (日)

こんな名号さんは ふしぎな名号さんよ
くちにあらわれ こころにしられ
わしのこころが あなたのこころ
あなたこころが わたしのこころ
これはふしぎよ
それは そのはず
機法一体 なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.173)
[才市] 機法一体 南無阿弥陀仏 2010年8月11日 (水)

ぐちがでたでた またでたよ
なむあみだぶと 連ろうてでたよ
機法一体 これがこと
よこめふらずに これをたのしむ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.240--241)
[才市] なむあみだぶと 連ろうてでたよ 2010年8月26日 (木)

はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつもこころで なむあみだぶつ
はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつもぶつぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.166--167)
[才市] 仏もぶつぶつ 南無阿弥陀仏 2010年8月29日 (日)

弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまえり
わしのこころに へたまいて
くださる慈悲が なむあみだぶつ
(鈴木, p.190)
[才市] 弥陀成仏のこのかたは・・・わしの心に へたまいて 2010年9月 9日 (木)

むかしは ありがたいことたよりにおもい
なんともないこと ちからをおとし
いまは あろうがあるまいが
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.44)
[才市] いまは あろうがあるまいが 2010年9月15日 (水)

よろこびは ごおんほうしやのよろこびで
なむあみだぶと いうてよろこぶ
さいち
よろこびを あてにしては をらんかい
いいやの《いいえ》 いいやの
よろこびは かぜのようなもので
あてにはならぬ
ふいてにげるよ あとかたもなし
(『ご恩うれしや』, pp.125--126)
[才市] よろこびは 風のようなもので 2010年9月19日 (日)

はれた心にあんしんするは
じりき うたがい あくむし《悪虫》よ
(『ご恩うれしや』, p.43)
[才市] 晴れた心に安心するは 2010年9月22日 (水)

わたしゃ にげます あなたのまえを
逃げば 逃げ
なむあみだぶに 入れてある
なむあみだぶに つれられて
みだの浄土に にげてゆく
(『ご恩うれしや』, p.190)
[才市] わたしゃ 逃げます あなたの前を 2010年9月26日 (日)

わたしゃ あみださんと いくさ《戦》をしたが
いまは あみださんに 返し討たれて
なむあみだぶの なかにうちとり
とられて あんき《安気》
六字のふち《扶持》を あたえてもらい
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp.22-23)
[才市] 阿弥陀さんに 返し討たれて 2010年9月29日 (水)

あさましの うきことわ たれにもあるよ
さいちにもある びょうきのやまい
ときのつの 二ほん三ほん はゑてをる
じひのかがみで みりわかる
あさまし あさまし あさましや
あさましいのが このさいち あさまし
あさまし あさましや あさましや
あさましや あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
あさまし あさまし あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠 恭 編『定本 妙好人才市の歌 全』三のp.259)
[才市] 棘の角 二本三本はえている 2010年10月 3日 (日)

あさましの
じゃけん《邪見》のつのが
はえたまんまで
おやにとられて なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.108)
邪見の角が はえたまんまで 2010年10月 6日 (水)

ご開山さま ご恩の灯り
わしに あなたの 灯りを見せて
なんの苦もなく 親里に
帰る うれしや 南無阿弥陀仏
才市
[才市] ご開山さま ご恩の灯り 2010年10月10日 (日)

あさましが ないならば
みだの浄土は できんのに
あさましが あるゆえに
こさえてもろうた みだの浄土を
(『ご恩うれしや』 pp.208--209)
[才市] あさましが あるゆえに 2010年10月20日 (水)

あさましや
凡夫のこころは
生臭猫よ
にょこにょこと
好いたことには 頭をだすよ
あさましや
慈悲の御手で 頭を押さえ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木, p.330)
[才市] にょこにょこと 好いたことには 頭をだすよ 2010年10月27日 (水)

わがこころ 見えもせず
りんじゅう《臨終》に 見える心が鬼となる
あさましあさまし
あさましいのも うそよの うそのかわよの
かわ かわ うそのかわ うそのかわ
うそのかわ うそのかわ うそのかわ
あさまし あさまし
あさましいのも うそのかわ
(『ご恩うれしや』 p.99)
[才市] あさましいのも 嘘の皮 2010年11月 7日 (日)

あくにあく あくをかさねて
しゃばでも つくる
あさましいとは みなうそよ
うそだ うそだ わしがな みなあくだ
ええもわるいも みなあくだ
(『ご恩うれしや』 pp.102--103)
[才市] ええも悪いも みな悪だ 2010年11月20日 (土)

さいちがこころは そらごとたわごと
まことあることなし
ごかいさんの よう知ってをんなさるよの
如来さんの
さいちを たすけてやるとや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.88)
[才市] 才市の心は そらごと たわごと 2010年11月28日 (日)

ありがたいな
こんな《この》 如来さんは
どこいでも《どこへでも》
わしがいくところ
ついてきなさるな
ありがたいな
それが機法一体の なむあみだぶつ
これにたすけられるのが なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp.73--74)
[才市] わしがいくところ 付いて来なさる 2010年12月15日 (水)

ひといき ひといきが
こん生《今生》の いとまごい
また出るいきが みらいかな
うれしや うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 pp. 224--225)
[才市] ひと息ひと息が今生の暇乞い 2011年1月 1日 (土)

あさましや
こんじきの ほとけのまえの
かれたはな
あさましやあさましや
(『ご恩うれしや』 p.8)
[才市] こんじきの仏のまえの枯れた花 2011年1月11日 (火)

電報 判《はん》がいります
ありゃ 浄土から 金が来たかの
判がたった今あったがの
どこいったかいの
急ぐ急ぐ
六字の判でよろしい
これは これ
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
かかよい こんな郵便さんは よい人よ
六字の判の 割判さする《させる》
そりゃ 極楽から来た人だからよ
そうかいな なむあみだぶの 小使いをする人かい
ありがたいの 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
(鈴木大拙『妙好人 浅原才市集』, p.119).
[才市] お浄土からの電報 2011年1月23日 (日)

さいちよい  へ
たりきを きかせんかい
へ  たりきじりきはありません
ただ いただくばかり
(『ご恩うれしや』 pp.52--53)
[才市] 他力・自力はありません 2011年1月28日 (金)

たりきには
じりきも たりきも ありはせん
いちめん たりき なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.51)
[才市] 自力も他力も ありはせん 2011年2月 2日 (水)

In Other Power
There is no self-power, no Other Power.
All around is Other Power.
Namu-Amida-butsu, Namu-Amida-butsu.

たりきには
じりきもなし たりきもなし
ただ いちめんの たりきなり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

(『Great Living: In the Pure Encounter between Master and Disciple』 by Kemmyo Taira Sato, New York, 2010, p.73,p.176)
[才市] There is no self-power, no Other Power 2011年2月 9日 (水)

ぐちが起きたよ また起きた
ぐちがないなら 御恩も知れぬとゆうて《言って》あさまし
とゆうて《言って》あさまし
わが親の慈悲はよい慈悲で
ぐちを御恩にまるめ まるめられ
御恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, p.67)
[才市] ぐちをご恩に丸め 丸められ 2011年2月14日 (月)

あさましや
わしのこころの かわりめしれぬ
こころかわりの はやいこと
くるくると
ようかわる ようかわる
こんなこころが あなたにとられ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.87)
[才市] わしの心の変わり目知れぬ 2011年2月17日 (木)

わしのこころは わやわやで
くもともとれぬ
きりともとれぬ
かぜともとれぬ
とりとめのつかぬ このこころ
しょうがない
さいちたすける おやのおじひよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.87--88)
[才市] わしの心は わやわやで 2011年2月20日 (日)

才市が心は ヒョウタンで
いつも うかうか
なむあみだぶの 風に吹かれて
浮いて流れる 弥陀の浄土へ
(鈴木, pp.289--290)
[才市] 才市が心はヒョウタンで 2011年3月 2日 (水)

才市が病気は
なむあみだぶを のみこめばなおるか
いや ひんなら《そうなら》どうすればなおるか
へ 才市が病気は
なむあみだぶさまに
のみこまれるで なおるであります.
さいちゃ 六字のがんやく《丸薬》に
まるでのまれて
六字のなかで おんれいほうしゃ
ほうしゃするのも ふしぎなものよ
ふしぎふしぎで ほうしゃするのよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.178--179)
[才市] 六字の丸薬にまるで飲まれて 2011年3月 6日 (日)

浮世のことは あてにはならぬ
なったことが くるっとかやる《かえる,ひっくりかえる》
あてになるのは なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.239)
[才市] 浮世のことは あてにはならぬ 2011年3月14日 (月)

ほとけとは ほとけ ゆわする《言わせる》 ほとけから
しんきち には ほとけの種がありまする
これは しんきち と才市が談合の話でありまする
大正三年十一月十三日の大浜屋の小屋の戸口で
談合いたしました
みなさん しんきち をかわいがうてやりてくだされ《可愛がってやってくだされ》
どうぞたのみます
しんきち もこの才市も
如来さんに守られておることがわかりました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木, p.34)
[才市] 仏とは 仏言わせる 仏から 2011年3月25日 (金)

こころの門は弥陀の門
耳の門の あくときは
一念帰命なむあみだぶつ
(楠, 三, p.193)
[才市] 耳の門の あくときは 2011年5月28日 (土)

わたしゃ七十九歳
娑婆の日暮れが 極楽の夜明け
目が境 なむあみだぶつ
(楠, 三, p.86)
[才市] 娑婆の日暮れが 極楽の夜明け 2011年6月 3日 (金)

わしの父親 八十四才
往生しました お浄土さまに
わしの母親 八十三で
往生しました お浄土さまに
わしもいきます やがてのほどに
親子三人もろともに
衆生済度の身とはなる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
[才市] 娑婆の日暮れが 極楽の夜明け 2011年6月 3日 (金)

さいちゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
[才市] 娑婆の日暮れが 極楽の夜明け 2011年6月 3日 (金)

わしの心の暗めに
名号不思議のあかりをつけてもろうて
ご恩よろこべ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 三, p.136)20110611
[才市] 名号不思議のあかり 2011年6月11日 (土)

信のないひと わしゃおそろしや
ざんぎの水が ないからよ
信のあるひと わしゃこいし
ざんぎの水が あるからよ
(『ご恩うれしや』, p.9)
[才市] 信のある人わしゃ恋し 慚愧の水があるからよ

十八願は直の法
十九,二十は直の前なり
(鈴木, p.293)
[才市] ただの念仏 わたしゃ用なし 2011年6月26日 (日)

ねんぶつは
言うてもうす《申す》ねんぶつには
あじもなし
ねんぶつ
言われてもうすねんぶつには
ふかきあじの あるなり
(『ご恩うれしや』, p.162)
[才市] 言われて申す念仏には 011年6月29日 (水)

いさみ いさんで ねんぶつとなえ
みださまに ごくよう《供養》もうそうや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.146)
[才市] いさみ いさんで ねんぶつとなえ 2011年7月 2日 (土)

わがまよい
ふるさとは
なむあみだぶつ
[才市] わが迷い ふるさとは南無阿弥陀仏 2011年7月 5日 (火)

ただなしの
ただのただもいらぬ
ただのただなり
やれ らくなのう
おもに《重荷》 とられて らくらくのらく
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.31--32)
[才市] 唯の唯もいらぬ 唯の唯なり 2011年7月 9日 (土)

なつかしや 京都の国は なつかしや
これは 浄土の一の門
なむあみだぶの 門の入口  京都の味わい

なつかしや 越後の国は なつかしや
これは 浄土の二の門で
なむあみだぶの 門の入口  越後の国の味わい

信濃の国は よい国で
しのもんのあるくにで
しなれのもんのいきるくに
あむあみだぶに 入らす 門の口  信濃の国の味わい

石見の国は よい国で
才市に向こうてくださる慈悲が
弥陀の門
なむあみだぶの門の入口

石州小浜は よいところ
知識にあわせて 弥陀を聞く
なむあみだぶの 門に入らせて  安楽寺の味わい
(楠 一, pp.197 -- 199)
[才市] なつかしや 京都の国は なつかしや 2011年7月20日 (水)

さいちよい
御開山のご旧跡は どこか
わしのこころに ご旧跡
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 二, p.72)
[才市] わしの心に御旧跡 2011年7月23日 (土)

才市よい
われが《お前の》浄土参りは
いよいよ解ったか
へえ
わたしが浄土参りは
わたしが方ではわかりません
そがな《そんな》ことは
おや《阿弥陀さま》でなけらんにや《なければ》 わかりません
(鈴木, p.264)
[才市] わたしが方ではわかりません 2011年8月 3日 (水)

才市は 一念慶喜は いつ済んだ
へ わたしが一念慶喜は とうに済みました
わたしが知らぬうちに 済みました
わたしが知らぬうちに
如来さんの《が》 先に済めていてやんなさった
わたくし ええ如来さんに あいました
才市は こののちは どうして日を暮らす
あさましいで 日を暮らします
(楠, 一, p.100)
[才市] 才市は 一念慶喜は いつ済んだ 2011年8月 6日 (土)

あさましや
親のご恩を忘れて暮らす
どこからか
わしゃ知らねども ご催促
聞いてみれば
なむあみだぶの ご催促
また来たよ 浄土から
(鈴木, p.255)
[才市] また来たよ 浄土から 2011年8月13日 (土)

こころ ころころ ころころで
六字のなかで こころ ころころ
これでたのしみ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.89)
[才市] こころ ころころ ころころで 2011年8月20日 (土)

法然さまは 六万べん
さいちや ときどき
六万べんも ときどきも ひとつこと
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.168)
[才市] 法然様は六万遍 才市ゃときどき 2011年8月31日 (水)

さいちは
ねんぶつとなえて まいるでなし
わすれんで まいるでなし
ほとけに だきとられてまいること
(『ご恩うれしや』,pp.189--190)
[才市] ねんぶつとなえて まいるでなし 2011年9月 3日 (土)

こころで まいるじゃない
しんじんに こころとられて まいること
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.42)
[才市] 心で 参るじゃない 2011年9月 4日 (日)

京も田舎も ぶつこえ《仏声》ひとつ
わたしゅ《わたしを》 助ける仏の声
なんまんだぶつ なんまんだぶつ
(楠 三, 2-3, p.43)
[才市] 京も田舎も仏声ひとつ 2011年9月14日 (水)

経を読めども 経を知らず
経に読まれて 経を知る
経は
経に心を才市が取られ
経は なむあみだぶつ
経の心を知らせてもらい
経の心は なむあみだぶつ
(鈴木, pp.41--42)
[才市] 経の心は なむあみだぶつ 2011年9月21日 (水)

わたしゃ七十七で
あなたは十八 若娘
それでも わしが好きだとの
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠,二,p.164)
[才市] あなたは十八 若娘 2011年9月28日 (水)

わたしゃ しあわせ 卵で生まれ
ピヨピヨと
鳴く声きけば なむあみだぶつ
(楠,三,p.73)
[才市] ピヨピヨと鳴く声きけば 2011年10月 1日 (土)

わたしゃ しあわせ
御開山さまと 一味での
ご恩うれしや なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.64)
[才市] 御開山さまと 一味での (附:報恩講のご案内) 2011年10月 5日 (水)

あさまし あさまし
邪見 きょうまん 悪才市
邪見 きょうまん 悪才市
あさまし 邪見 きょうまん 悪才市
あさまし あさまし 悪才市
ひとのものは なんぼでもほしい
取っても 取っても ほしい
ほしい ほしいの つのがはえ
あさまし あさまし あさまし
邪見ものとは この才市がことよ
この才市には
ひとが おそれております
それに《それだのに》
ひとが 知らんと 思うております
(『ご恩うれしや』 pp.95--96)
[才市] ひとのものは なんぼでもほしい 2011年10月 8日 (土)

この闇が
六字の月に 照らしとられて
娑婆ながら
六字のなかに おるぞうれしや
(楠, 二, p.219)
[才市] 六字の月に 照らしとられて 2011年10月15日 (土)

わしのうたがい うみよりふかい
わしのうたがい やまよりたかい
わしのうたがい せかいのごとく
それにおじひが くっついて
くださるおじひが なむあみだぶつ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』 p.25)
[才市] わしの疑い 海より深い 2011年10月19日 (水)

わしのこころの つみいわぬ
わしのこころの つみ しらせてくださる
わしがおやさま なむあみだぶつ
わしのつみ
いまは六字の 火がついて
わしのこころも いまはほやほや
ぽんや ぽんや ぽんや
わしも六字も なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.184)
[才市] わしの心の罪 言わぬ 2011年10月22日 (土)

バクチ打つなら 阿弥陀と打ちやれ
六がころころ 六字ばっかり
これを 才市にとらするぞ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠, 一, p.48)
[才市] バクチ打つなら 阿弥陀と打ちやれ 2011年10月26日 (水)

才市 心をあとから見れば
蛙姿に よお似ておるよ
前の手をつき あおのいて
教化聞けども いつもぶるうと
教化の水の中に おること知らず

ありがたや 教化の水が 今知られ
教化の水の 知られたのは
知識 如来の ご恩のおかげ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 一, p.16)
[才市] 蛙姿に よう似ておるよ 2011年11月 2日 (水)

わたしゃ困ったことがある
胸に歓喜のあげたとき
これを書くことできません
なむあみだぶとゆうて書け
(楠, 一, p.97)
[才市] これを書くこと できません 2011年11月 5日 (土)

わしの こころ
久遠もいまも かわりゃない
かわったものは なむあみだぶつ
わしにさとりを ひらかすおじひ
(『ご恩うれしや』, pp.90--91)
[才市] わしの心 久遠も今も 変わりはない 2011年11月 9日 (水)

生死の苦海 渡ること
なむあみだぶの橋がかけてある
私ゃ なむあみだぶの上におる
(『ご恩うれしや』, p.247)
[才市] 南無阿弥陀仏の橋がかけてある 2011年11月12日 (土)

弥陀の樋
弥陀の尊い 弥陀の樋
知識 口から私の心
かけてもろたよ 六字の樋を
浄土の水の 味のうまさを
わしの心 つぎ込まれ
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
(楠, 一, p.6)
[才市] かけてもろたよ 六字の樋を 2011年11月17日 (木)

楽しみは 向こうから
呼ばれて楽しむ
お慈悲から
(鈴木, p.254)
[才市] 浄土から六字の樋がかけてある 2011年11月19日 (土)

おにがくるか じゃがくるか
しらずにくらす おやのふところ
さいちや よい気でなむあみだぶつ
ちちをのみのみ
おやのかお見て なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.79)
[才市] 鬼が来るか 蛇が来るか 知らずに暮らす 親の懐 2011年11月27日 (日)

わるいことは せんがよい
わるいこと こころとがめて
法のじゃまもの
ごおんよろこぶじゃまをする
(『ご恩うれしや』, p.112)
[才市] 悪いことはせんがよい 2011年12月 7日 (水)

娑婆の世界は 浄土の小庭
小庭見させて 浄土たのしむ
なむあみだぶつ
(楠 三, p.73)
[才市] 娑婆の世界は 浄土の小庭 2012年1月 5日 (木)

わしのこころは くをんのひでり
いまは六字のみずをもろうて
(『ご恩うれしや』, p.108)
[才市] わしの心は久遠のひでり 2012年1月14日 (土)

みだの浄土に かえるひと
なんの苦もなく うきよをすごす
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.209)
[才市] なんの苦もなく 浮世を過ごす 2012年1月19日 (木)

ぐちがでたでた またでたよ
なむあみだぶと 連ろうてでたよ
機法一体 これがこと
よこめふらずに これをたのしむ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.240--241)
[才市] なんの苦もなく 浮世を過ごす 2012年1月19日 (木)

才市よい うれしいか ありがたいか
ありがたいときゃ ありがたい
なっとも《なんとも》ないときゃ なっともない
才市 なっともないときゃ どぎぁすりゃあ《どうするか》
どがあも《どうとも》 しようがないよ
なむあみだぶつと ドングリヘングリしておるよ
今日も 来る日も やーいやーい
(楠, 二, p.240)
[才市] 今日も来る日もやーいやーい 2012年3月27日 (火)

愚痴が出た出た また出たよ
なむあみだぶと つろうて出たよ
機法一体 これがこと
横目振らずに これを楽しむ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠, 一, pp.43--44)
[才市] 愚痴が出た出た また出たよ 2012年4月20日 (金)

ままにしょうてて《しようとしても》 そりゃ無理よ
ままになるなら 月の丸さも 欠けはせん
(『さんぎとかんぎ』, pp.83--84)
[才市] ままになるなら 月の丸さも 欠けはせん 2012年6月10日 (日)

なにごとも凡夫のたのしみ 水のあわ
けえて《消えて》 ふくれて またけえて
しまいにゃ び び 泣くばかり
つまらん つまらん
のちはじごくに おちるかな
(『ご恩うれしや』, p.231)
[才市] 凡夫のたのしみ 水のあわ 2012年6月18日 (月)

わしの生まれは 地獄の生まれ
わたしゃ旅犬 尾をすべて《すぼめ》
浮き世を過ごす なむあみだぶと
(鈴木, pp.259 -- 230)
[才市] わたしゃ旅犬 尾をすべて 2012年6月22日 (金)

才市や なんで働くか
へ わたくしゃ なむあみだぶで 働きまする
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004). 引用はpp.223
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』,  p36).
[才市] 浮世働き諸仏とするよ 2012年6月30日 (土)

ありがたいな
娑婆ですること
家業 営みすることが
浄土の荘厳に
これがかかわるぞよ
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004) 引用はpp.223
(楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一,  p.94).
[才市] 浮世働き諸仏とするよ 2012年6月30日 (土)

浮世働き諸仏とするよ
浮世働き菩薩とするよ
親に守られ先に参ったる人 おるぞよ
なもあみだぶの中で遊ぶよ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004). 引用はpp.223 -- 224
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』,  p.285).
[才市] 浮世働き諸仏とするよ 2012年6月30日 (土)

目にみえぬ じひがことばにあらわれて
なむあみだぶと こえでしられる
なむあみだぶを きくときは
おやの名に こめられてきく
なむあみだぶつ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.150--151)
[才市] なむあみだぶと 声で知られる 2012年8月29日 (水)

報恩講
それに参るは才市でござる
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
これは大福長者 才市は長者
(鈴木, p.242)
[才市] 報恩講 それに参るは才市でござる 2012年10月 8日 (月)

ありがたいの ありがたいの
ありがたいのが あなたのじひで
うれしゅないのが わたしのこころ
うれしかろうが かるまいが
機法一体 なむあみだぶつ
これがしれたら ありがたい
(『ご恩うれしや』, p.130--131)
[才市] 有難いのがあなたの慈悲で 嬉しゅうないのが私の心 2013年2月17日 (日)

もうねんを くやむじゃない
もうねんは
よろこびのたね さとりのたね
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.116 -- 117)
[才市] 妄念は喜びの種 2013年2月28日 (木)

わしのくよくよ もやもやに
六字が入りて ご化導なさる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(鈴木, p.310)
[才市] わしの くよくよ もやもやに 2014年3月 5日 (水)

末代無智は
末代の わしを相手の
末代の
なむあみだぶの御文章さまよ
(楠, 二, p.192)
[才市] 末代無智は 末代の わしを相手の 2014年3月15日 (土)

こんな さいちよい

あのな 末代無智の御文章さまは だれがか《だれのか》
ありゃ わしがであります
なして[どうして?]
それでも あなた
たとゑ罪業は深重なりとも 必ず弥陀如来は救いましますべし[と]
いいなさるけ[おっしゃるから] わしがものでありますよ
なむあみだぶと ゆうてあります
(楠, 二, pp.71--72)
[才市] 末代無智の御文章さまは 2014年3月19日 (水)

蓮如さまは 慚愧が強い
御開山は 慚愧が強い
わしがな うそ うそ
あさましや あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.249)
[才市] 蓮如さまは 慚愧が強い 2014年3月28日 (金)

法敬さまと蓮如さま
お名は変われど 心はおなじ
あさましの わしをたすけるみのり≪法≫なり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 三, p.192)
[才市] 法敬さまと蓮如さま 2014年4月 4日 (金)

蓮如さまでも法敬を相手
大悲の親は才市ゅ相手に
(鈴木, pp.105 -- 106)
[才市] 法敬さまと蓮如さま 2014年4月 4日 (金)


知ることも 信ずることも 過去の種
過去に種を 植えられて
今に生えたが なむあみだぶつ
(楠, 二, p.208)
[才市] 過去に種を 植えられて 2014年4月11日 (金)

まかぬたね まいた覚えのないたねが
こころに生える なむあみだぶつ
(楠, 三, p.288)
[才市] まいた覚えのない種が 2014年4月18日 (金)


さきのみやこ[お浄土]が あるゆえに
浮世はたらき すりゃおもしろい
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.209)
[才市] さきのみやこが あるゆえに 2014年4月25日 (金)

才市ゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
(『ご恩うれしや』, p.239)
春の給食サービス 2014年5月 1日 (木)

ええな
世界虚空がみなほとけ
わしもその中
なむあみだぶつ
鍋島先生のご法話(顕彰会法要) 2014年6月20日 (金)

わしのよろこび こくうのごとく
こうくせかいも なむあみだぶつ
ここにわたしを すまいをさせて
くださるじひが なむあみだぶつ
(当日のレジュメ, p.18)
鍋島先生のご法話(顕彰会法要) 2014年6月20日 (金)

なむあみだぶは 日なり 月なり
機も法も みなわかる
てらされて あさまし あさまし
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.144) (2-5-42)
[才市] 照らされて あさまし 2014年6月22日

なむぶつは よいかがみ
法もみえるぞ 機もみえる
あさまし あさまし ありがたい
あみだのこころ みるかがみ
(『ざんぎとかんぎ』, p.73)
[才市] 照らされて あさまし 2014年6月22日

さいちがしやわせ ぶつ《仏》になる
しゅ上さいど《衆生済度》の ぶつになる
なむあみだぶと もうすほとけに
(楠,一, p.190)
[才市] 衆生済度の仏になる 2014年6月28日 (土)

わしがおやさま よいおやさまで
おやひとり 子ひとりで
なむのこどもに あみだのおやが
衆生さいどをさせてよろこぶ
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』, pp.66--67)
[才市] 衆生済度をさせてよろこぶ 2014年6月30日 (月)

わしのこころの あさましの
鳴子になれて 邪見 日暮し
あさましと 口には言えど
いまもこころに
山の門跡さまを 尊むもなし
あさまし あさまし あさましや
親にはなれてみりゃ邪見
親にとられて なむあみだぶつ
(『さんぎとかんぎ』, pp.110--111)
[才市] 鳴子になれて 邪見 日暮し 2014年7月17日 (木)

わしのこころは くらめのくらめ
くらめとられて なむあみだぶつ
(楠, 二, p.145)
[才市] 暗めとられて なむあみだぶつ 2014年8月 6日 (水)

こんな才市は書くことはやめりゃええだ
いいや こがな楽しみはありません
やめらりゃしません
死ぬるまではやみ《やめは》しません
法を楽しむ[には]書くもんであります
まことにゆかいな楽しみであります
名号のなせることの楽しみ
なむあみだぶであります
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(楠三, ノート9の36)
[才市] 法を楽しむには書くもんであります 2015年3月 1日

さいちや ほとけが みたいなら
こころを みいよ[見よ]
機法一体 なむあみだぶつ
これが さいちが おやさまよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.64)
[才市] 仏が見たいなら心を見よ 2015年3月 9日 (月)

恋しくば なむあみだぶを 称うべし
才市が心に住む弥陀よ
(『ざんぎとかんぎ』, p.65)
[才市] 才市が心に住む弥陀よ 2015年3月16日 (月)

五十二段の親さまが
私に降りて わしになり
なあむあみだぶと申す親さま
『ざんぎとかんぎ』, p.108
[才市] 私に降りて わしになり 2015年3月23日 (月)

お六字は しゃばではぼんぶ
みらいは ほとけ なむあみだぶつ
きほをひとつのあじわい
(『ざんぎとかんぎ』, p.106)
[才市] お六字は娑婆では凡夫 2015年3月30日 (月)

ぼんぶがほとけになることは
ほとけがぼんぶになって
ぼんぶをほとけにすること
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.106)
[才市] お六字は娑婆では凡夫 2015年3月30日 (月)

わしの悪事が みな見える
地獄も見える 極楽も
見えるはずよの 六字の鏡
これが他力の なむあみだぶつ
他力鏡は よい鏡
さきの楽しみ なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』, p.118)
[才市] 見えるはずよの 六字の鏡 2015年4月 6日 (月)

[...]
代々相承の
[聖徳]太子さま 七高僧さまのご恩
御開山さまのご恩
[...]
相承の善知識さまのご恩は
山とも海とも天とも地とも
深いご恩を
この度は 受けさせてもらいましたのに
[...]
(楠二, 9:34)
[才市] 七高僧さまのご恩 2015年4月20日 (月)

信心は 衆生済渡の元入れで
もろうて[もらって] いただく なむあみだぶつ

しんじんわ,しゆ上さいどのもとゑれで,
もろをていただく,なむあみだぶつ.
(楠二, 04:068)
[才市] 信心は 衆生済渡の元入れで 2015年4月27日 (月)

なむあみだぶは
わしの心に花咲く領解(りょうげ)
花をもろおて 花見する (才市)
(楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, 第4ノート, 92番(p.176))
[才市] わしの心に花咲く領解 2015年5月 6日 (水)

わたしや しやわせ
鐘の音 聞く耳もろうた
なむあみだぶの ごさいそく
なむあみだぶを 聞けよのことよ
(鈴木, 04:071)
[才市] 鐘の音 聞く耳もろうた 2015年5月13日 (水)

鐘の音 こころに響く 鐘の音
今はあなたの をな《お名》に ひびきとられて
(鈴木, 11:075)
[才市] 鐘の音 こころに響く 鐘の音 2015年5月20日 (水)

わたしや あなたのこころもろをて
なむあみだぶつ。
(楠三 06:097)
[才市] わたしぁ あなたの心もろうて 2015年6月28日 (日)

祖師さまは
弥陀のご恩を とをとむ(尊む)知識
とをとがらする わたくしにも
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(鈴木, 02:049, p.23)
祖師さまは弥陀のご恩を 尊む知識 (才市) 2015年10月26日 (月)

ねんぶつは
こころに ろくじの あかりをつけて
これがたのしみ  なむあみだぶつ
(楠三, 10-041, p.270)
[才市] 心に六字の灯りをつけて 2015年12月30日 (水)

ありがたや
としが増すほど
よろこびゃ
ますよ
ごおんうれしや
なむあみだぶつ
(才市 『ご恩うれしや』, p.270)
[才市] 歳が増すほど喜びゃ増すよ 2016年1月 1日 (金)

わたしや うれし
凡夫の根切りをしてもろて
あうてないのも をなじこと
うれし うれしの なむあみだぶつ
(楠一, 06:029, pp.223-224)
[才市] 凡夫の根切りをしてもろて 2016年1月29日 (金)

信のないひと わしゃおそろしや
ざんぎの水が ないからよ
信のあるひと わしゃこいし
ざんぎの水が あるからよ
(才市さん『ご恩うれしや』, p.9)
[才市] 信のないひと わしゃおそろし 2016年2月 9日 (火)

祈り祈祷が ならぬが繁盛
これが阿弥陀の南無阿弥陀仏
(k3-05:054)
[才市] 祈り祈祷が ならぬが繁盛 2016年2月19日 (金)

なんぼ きいても ききあかぬ
いかに さいちは とんよく強い
おやにもろうた とんよくで
天地はれての とんよくよ
なむあみだぶを これでいただく
(才市さん,『ご恩うれしや』, pp.113--114)
[才市] 天地晴れての貪欲よ 2016年2月22日 (月)

私ゃ仕合せ 私ゃ仕合せ
手もとう《届く》し
かご《屈》みもせずに 花のこずゑを
ご恩うれしや なむあみだぶつ
・・・
(才市さん,sd-03:084)
[才市] 屈みもせずに花の梢を 2016年3月20日 (日)

私ゃ仕合せ 私ゃ仕合せ
手もとう《届く》し
かごみもせずに 花のこずゑを
ご恩うれしや なむあみだぶつ
法を聞くにも よい身を貰うて
わたしゃ仕合せ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん,sd-03:084)
[才市] 法を聞くにも よい身を貰うて 2016年3月22日 (火)

才市ゃ 人間に 出いてもろうて
親にもろうた なむあみだぶを
出いて喜ぶ 心もろうて
もろたも他力 もろうたも他力
(才市さん, sd-18:013)
[才市] 才市ゃ 人間に 出いてもろうて 2016年4月 9日 (土)

蓮如さまは よい人よ
ご文章さまを こしらえて
これを才市が まるもらい
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(才市,k1-02:057)
[才市] これを才市がまるもらい 2016年4月14日 (木)

お浄土は ひがしの門のいりくちに
如来さんは もんばんであります
さいちは きたか きたか
ようきた ようきた いうて
わしをほめなさる
ちゃんと うちねの《自分の家の》 如来さんでありました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
ええたのしみだの
なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩うれしや』, p.72)
[才市] これを才市がまるもらい 2016年4月14日 (木)

御開山さまは どういうええこと《良いこと》を
教えてくださろうかいの《くださるのだろうかな》
恋しくば なむあみだぶを とのう《称える》べし
われも《わたしも=御開山様も》 六字の内にすむと[教えなさる]
(才市さん,sd-29:050)
[才市] 恋しくばなむあみだぶを称うべし 2016年4月29日 (金)

胸に吹く風 弥陀の名号
いつも吹く吹く
南無阿弥陀が
風も雨も一度に吹く降る
機も法もいちどきに
吹いたり降ったり
ご恩うれしや南無阿弥陀仏
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート16の180番, p.267).
[才市] 胸に吹く風 弥陀の名号 2016年4月30日 (土)

ふくふくと 胸に吹く風
弥陀の国から 吹いてくる風
胸に当たるぞ そよそよと
おもしろや
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート7の33番, pp.92--93)
[才市] 胸に吹く風 弥陀の名号 2016年4月30日 (土)

さいちが かかさん≪母さん≫の名はなんとういうか
へ わたしがかかさんの名は
あみださんと もうします
かかさんの声は どんな声がするか
へ 声はなむあみだぶつの声がしまするよ
さいちが名は なんというか
へ なむといいます
(『ご恩』, pp.78--79)
[才市] かかさんの名は阿弥陀さんと申します 2016年5月29日 (日)

たからたから 小浜はたから
知識ありゃこそ 小浜はたから
今が知識 あい時よ
(才市,sd-01:094, p.14)20160602_02
[才市] 今が知識[に]遇い時よ 2016年6月 3日 (金)

さいちゃ
りん終すんで 葬式すんで
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて
なむあみだぶと うきよにをるよ
(『ご恩うれしや』 p.204)
みやこ《浄土》に 心 住ませてもろて 2016年6月26日 (日)

有漏の穢身は変わらねど
自力が他力にしてもろて(貰って)
浄土で遊ぶ 南無阿弥陀仏
(才市さん, sd-26:052, p.378)
[才市] 有漏の穢身は変わらねど 2016年6月28日 (火)

さいちゃ
りん終すんで 葬式すんで
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて
なむあみだぶと うきよにをるよ
(才市さん, 『ご恩うれしや』, p.204)
[才市] 有漏の穢身は変わらねど 2016年6月28日 (火)

才市がこころに ぬしと《ぬすっと=盗人》が 入った
才市がこころを 取りに来た
あむあみだぶつに 積んでいぬるよ《去ぬるよ=帰るよ》
(才市さん,az-02:163)
[才市] 才市が心に 盗人が入った 2016年7月11日 (月)

酔うた酔うた
なむあみだぶの 酒に酔うたよ
才市よい われも酔うたか わしも酔うたよ
如来さんよい これから浄土に いにましょうや(帰りましょうよ)
(才市さん.sd-05:064)
[才市] 南無阿弥陀の酒に酔うたよ 2016年7月21日 (木)

極楽は見たことないに
ここで知られる
なむあみだぶつ
(才市さん, az-02:037)
[才市] 極楽は見たことないに 2016年7月31日 (日)

あさましや わたしゃ下駄職 虫ゅ殺す
荒木こんのを(墾納=仕上げ)するときは
生き虫殺す罪作り
わしの罪 世界の虫ほど罪がある
ここでこの罪こらえてもらう
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
(才市さん,sd-01:018)
[才市] わたしゃ下駄職 虫を殺す 2016年8月19日 (金)

よろこびは あなたので
わたしゃ あなたの もらいよろこび
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩』, p.128)
[才市] わたしゃ あなたの もらいよろこび 2016年8月28日 (日)

ありがたや としが増すほど
よろこびゃ ますよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩うれしや』,p.270)
給食サーヴィス 2016年冬の巻 2016年12月23日 (金)

喜びは朝日に掛かる雲も照らされ
(楠恭編『妙好人才市の歌 全』の二, 第2ノート, 20番, p32)
[才市] 喜びは朝日に掛かる雲も照らされ 2017年1月17日 (火)

よろこびは胸にある
また雲が掛ける[掛かる]かい
掛けば掛け
またお前も照らされて
掛けば掛け
掛けるこそよいよ 身が楽で
掛けるこそ 慚愧のもととなる
うれしや なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん 楠二, 02:21)
[才市] またお前も照らされて 2017年2月12日 (日)

わが迷い ふるさとは なむあみだぶつ
(楠三-02-059, p.63)
[才市] 念仏は親の呼び声 2017年2月21日 (火)


ごくらくは ほんらい おやのさと
おやのさとこそ わしがさと
なむあみだぶと もうすさとなり
(才市さん,『ご恩うれしや』)
極楽は本来おやのさと [才市] 2017年3月28日 (火)

こころは娑婆の旅
わしのこころは地獄の生まれ
旅犬が尾をすべて
浮世をすごす
なむあみだぶつ
(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート29の22番, p.415)
極楽は本来おやのさと [才市] 2017年3月28日 (火)

才市が あさましさんがありがたい
南無さんを当ててもろうて
弥陀さまになること いただくこと
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん,鈴木-30:090)
[才市] あさましさんがありがたい 2017年4月 6日 (木)

才市が母親 弥陀仏で
才市が父親 釈迦仏で
才市が親さま 慈悲な親さま
見真大師の あかりをつけて
雑行自力の 闇を取られて
なむあみだぶの あかりをもろうて
迷いのこころ これでわかるぞ
ご恩うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(才市さん,鈴木-04:004)
[才市] 才市が父親 釈迦仏で 2017年4月10日 (月)

むつかしく
思えば自力疑いの
心にとられて末は地獄よ
得てみれば
何の造作もない六字
心とられて弥陀の浄土に
(才市, sd-19:054)
[才市] むつかしく思えば自力疑いの 2017年11月 4日 (土)

安楽寺和上さんの扇子の字のかたどり
わたしゃ迷いの黒烏
夕日まで[夕方まで]照らされて
なむあみだぶの餌食(えばみ)貰うて
朝までとまる法の松木に
わたしゃよいもの頂戴したよ
烏が転じて白鷺になる
ご縁をもらいましたよ
これは愉快な楽しみであります
(才市さん, 鈴木 2:007)
[才市] 烏が転じて白鷺になる (仏教婦人会 給食サーヴィス) 2017年12月23日 (土)

才市よい うれしいか ありがたいか
ありがたいときや ありがたい なつともないときや なつともない
才市 なつともないときや どぎあすりや
どがあも仕様がないよ なむあみだぶと どんぐり へんぐりしてゐるよ
今日も 来る日も やーい やーい。
仏教婦人会 給食サーヴィス 2018年4月29日 (日)

わしのこころの かわりめしれぬ
こころかわりの はやいこと
仏教婦人会 給食サーヴィス 2018年4月29日 (日)

こころ  ころころ  ころころで 六字のなかで  こころ  ころころ
これでたのしみ なむあみだぶつ<
仏教婦人会 給食サーヴィス 2018年4月29日 (日)

煩悩が 連ろうて遊んでごせ(一緒に遊んでくれ)言うが
どがあ(どう)しましょうかいな
お 連ろうて遊べよ
どがあ言うて 遊びましょうかいな
念仏申して 連ろうて遊べよ
(『ご恩うれしや』, p.114 )
[才市] (煩悩を)連ろうて遊べ 2018年8月24日 (金)

ありがたいな
はらのなかでも ものをいう
わしがおやさま 大けなおやで
しゃばは おやのはら
うまれるさとは おやのさと
(『ご恩うれしや』, p.247)
[才市] 生れるさとは親のさと 2018年9月 6日 (木)

わしの心の燃え立つなかに
入《い》りてくださる
なむあみだぶつ
(才市, 鈴木, 12:047)
[才市] わしの心の燃え立つなかに 2018年9月20日 (木)

ありがたい
祖師のご恩と
弥陀の恩
恩と恩とで
なむあみだぶつ
(鈴木, 12:070)
[才市] 恩と恩とでなむあみだぶつ 2018年10月29日 (月)

ええな
世界 虚空がみなほとけ
わしもそのなか
なむあみだぶつ
(才市,楠一, 06:030)
[才市] ええな 世界 虚空がみなほとけ 2018年11月11日 (日)

法《みのり》の船は六字の船で
六字の船に乗りぬれば
六字の風にまかせとられて
(才市さん.楠1-05:133)
[才市]みのりの船は六字の船で 2018年12月21日 (金)

法《みのり》の船は六字の船で
六字の船に乗りぬれば
六字の風にまかせとられて
(才市さん.楠1-05:133)
冬の給食サービス 2018年12月28日 (金)

こころ ころころ ころころで
六字のなかで こころころころ
これでたのしみ なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩』, p.89)
[才市] こころ ころころ ころころで 2019年1月 3日 (木)

わしとあなたは 海の水
煩悩の真水は入れど みな塩で
これが不思議 なむあみだぶつ
(才市さん, 『慚愧と歓喜』, p.113)
[才市] わしとあなたは海の水 2019年1月12日 (土)

しゃばも浄土も みなひとつ
十方みじんせかいも わしがもの
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.199)
[才市] 娑婆も浄土も みなひとつ 2019年3月26日 (火)


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