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[才市] 京も田舎も仏声ひとつ
旧ブログ 2011年9月14日 (水)

京も田舎も ぶつこえ《仏声》ひとつ
わたしゅ《わたしを》 助ける仏の声
なんまんだぶつ なんまんだぶつ
(楠 三, 2-3, p.43)

 この前の日曜日,「離郷門徒のつどい」で,ご本山にお参りしました.
 地元を離れたご門徒の方々が京都に集まり,午前中は「ふるさとのつどい」,午後からは,「石見離郷門徒参拝団」として宗祖750回忌大遠忌にお参りするという催しでした.10ヶ寺の合同行事です.地元からの参加もあり,総勢250余名になりました.
 私は,昼間勤めに出ていることもあって,準備などは他のお寺の方々におんぶに抱っこ.他人様が準備してくださった行事にひょいと乗っかった形になってしまいました.ありがとうございました(せめて,ということで坊守が団体目印のタスキを作りました.朱色のタスキ250本,ウン日間の汗と肩こりの成果が,夏の陽光を浴びて明るく目立っていましたので,まぁ,良しとします・・・って,つまり,私は本当に何もしてない^^;).

 当日は,まぁ,ともかく暑かった.午前中は冷房の効いた聞法会館でしたが,午後からのお参りは,耐え難いというわけではないのですが,ジワっと暑く,法要が終わった後,ネクタイ全体が汗で湿っていました.
 “法要中でもかまいませんから,小まめに水分補給を.また,看護師も控えていますので,気分が悪くなったらすぐ係員に”というアナウンスが何度も流れていました.この暑さの中,しかもお年寄りも多い大集団のお世話はずいぶん神経を使われたことでしょう(ちなみに,参拝記念品の一つとしていただいた参拝バッグには,ペットボトル用のポケットがあって重宝しました).
 昼食も,ご本山の準備してくださったお弁当を聞法会館(と会館前の特設食堂)で頂いたのですが,この暑さの中,連日たくさんのお弁当を,食中毒を出さないよう準備されるご苦労が思いやられました.境内・堂内にも,お世話の方々がたくさん立っておられ,あたためて,大変な行事だと実感しました.

 新門さま,ついで,ご門主さまのお言葉を頂きました.新門さまの,批判的精神あふれる,いかにも若々しいお言葉,そして,ご門主さまの,すべてを包み込むようなお言葉,それぞれ感銘深く聞かせていただきましたが,特に,ご門主さまが原発について,穏やかな口調ながらも,かなり踏み込んだことをおっしゃられたのが印象に残りました.

 さて,冒頭の才市さんの口あいは,ご本山のある京都でも,ご本山から遠く離れたこの田舎でも,阿弥陀様は同じように呼びかけてくださっている,ということでしょう.あるいは,「石州小浜はよいところ」という先日ご紹介した口あいに引き寄せて,阿弥陀様の声をお取次ぎしてくださる人は,京都にも田舎にも同じようにいる,と味わうこともできそうです.いずれにせよ,郷里にいても,郷里を離れていても,ともに仏の声を聞く者,御同行・御同朋ですね.

【補足】
 楠 三, 2-3, p.43:楠恭『定本 浅原才市の歌 全』三のp.43(三の第2ノート3番).

コメント

>ご本山のある京都でも,ご本山から遠く離れたこの田舎でも,阿弥陀様  は同じように呼びかけてくださっている

これは事実でしょうが、こういう言葉を教えてもらいました。

「田舎の勉学 京都の昼寝」

この言葉は京都に仏教の勉強に来ている生徒に 先生が言われたようです。つまり、田舎ではねじり鉢巻きで勉強するようなことも、京都では昼寝をしているときに、耳に入ってくる回りの話し声などで勉強ができるのだ。
ということだそうです、それほど京都というところは勉強するのに恵まれた地なので、おろそかにせず勉強しなさいと、諭されたことばのようです。

私がお参りしたのは4月でしたので、原発事故の影響は東電、政府、マスコミ三者の情報操作状態で実態が知らされていないときでしたので、門主さんの挨拶にもあまり触れられていませんでした。どんな事を言われたんだろう??

こんばんは

 「田舎の勉学 京都の昼寝」.
 この言葉,“田舎の勉強,京の昼寝”という言い方で私も聞いたことがあります.“だから,大学は都会の大学に行け”と.
 私は,高校まで田舎で育ち,十余年を都会で過ごして,また田舎に帰って来ましたので,この言葉は実感として分かります.
 「井の中の蛙,大海を知らず」ということわざに,「されど空の深さを知る」と下の句を付けた人がいるそうですが,“田舎の勉強,京の昼寝”を実感した私には,負け惜しみにしか聞こえません.大海を知った上で言うのならともかく・・・.

 ご門主のお言葉ですが,記憶に頼って不正確なことを記してもいけませんので,代わりに,『本願寺新報 大遠忌法要・9月特集号』(参拝記念品の一つ)に載っていたご門主のインタヴューから引用します.

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 原子力発電所の事故は,現実の問題としては一番難しいものだと思います.核エネルギーが人間の努力で制御できるかできないか,それは私には判断できませんが,少なくとも今までは謙虚な対応をないがしろにして利益追求に走ってしまっていた.人間の欲望と知恵のバランスが崩れてしまい,人間に扱えないようなものによって欲望を満たしてきました.恐ろしいものには恐れをもって対処するというようなことが欠け,傲慢になっていたと思います.
 私自身も何となく危ないという気持ちはありましたが,みんなの前でいえるほど確信を持っていた,わかっていたとはいえません.しかし,知らなくて責任がないというわけでもありません.文明そのものの問題として,人間の知恵の範囲内でできることをすべきではなかったかということです.
 あらゆる可能性を否定するものではありませんし,ほかに方法があるかもしれませんが,今のままでは原発との共存は難しいと思います.現状は,薄い氷の上に乗っているような感じですね.
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 なお,この一節のすぐ前に,次のようなお言葉もあります.

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 武力さえ充実すれば平和になるという意見も,実際はかえって恨みを引き起こしている場合があります
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 これは,直接には9.11以降のアメリカの対応(と,その尻馬に乗った日本)を念頭においてのお言葉でしょうが,核抑止力論批判とも読めますね.

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