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[才市] こんじきの仏のまえの枯れた花
旧ブログ 2011年1月11日 (火)

あさましや
こんじきの ほとけのまえの
かれたはな
あさましやあさましや
(『ご恩うれしや』 p.8)

 以前,水道の水がまずい,危ないと騒がれたことがありましたね.最近あまり聞かなくなりましたが,水道の水質が改善されたのか,みんなミネラルウォーターを買うようになって気にしなくなったのか・・・? それはともかく,都市部の水道についてこんな話をご法話で聞きいたことがあります.

 水道の水がまずい,臭いという苦情は8月の後半に集中する傾向がある.夏場で水が痛みやすいからかとも考えられるが,その夏の気温などにはあまり関係ないところを見ると,実際の水質とは関係なさそうだ.そこで,苦情を寄せた人に詳しく話を聞いてみると,ある共通点があった.8月後半に苦情を寄せる人は,お盆に田舎に帰省していた.田舎のおいしい水に慣れた舌で都市部の水道水を飲むとまずく感じるようだ.でも,すぐに都会の水になれてしまって気にならなくなる.だから,帰省直後の8月後半に苦情が集中するらしい・・・.

 真偽のほどは知りませんが,聞いたときすぐ納得してしまいました.というのは,私も似たような経験があったからです.
 大学に行くようになって帰省したとき,水道の水にかすかな味を感じました.まずいというわけではないのですが,地元の温泉の湯と似た味がかすかにするのです.でも,一日もしないうちに感じなくなりました.そして,次の帰省直後にまた味を感じる,そんなことを繰り返していました.因みに当時は簡易水道で,少し離れた川の水をごく簡単な浄水場を通しただけの水でした.温泉と同じ成分(鉄分?)が残っていたのでしょう.
 水道水にかすかに残る臭いや味を感じるためには,そうでない水の味に慣れていなければならない.しかも,臭いや味のない水を常に飲み続けていないと,すぐに感じなくなってしまうようです.
 以前,「本物のダイヤモンドと偽者を見分ける能力をつけるには、毎日本物だけを見るようにする」というご法話をコメントで紹介していただきましたが,同じことですね.
 冒頭に掲げた才市さんの歌は,仏壇にお供えした花が枯れたままほったらかしになっていて見苦しい,という意味にも取れますが,おそらく,枯れた花とは自分のことでしょう.いっぱしきれいに咲いたつもりでいたけど,本物の前に座ると,実は枯れたあさましい姿に過ぎなかったことが知らされる・・・.でも,お仏壇の前に座って,自分は枯れた花であると知らされたのは,才市さんが本物に触れ続けていたからではないでしょうか.

コメント

こんにちは
日本中が雪という寒波が到来して、当地でも珍しく雪が積もりました。
他人の休息日などは全くお構いなしに、勝手にトヨタカアレンダ-なる物を
スタンダ-ドにしてしまっている会社もありますが、さすがに冬将軍には
勝てないようで臨時休業を余儀なくされておりました。
お隣の寺のブログでjunkさんの寺の事を知りました。後半の十月十日の
ご縁もありがたくいただいて下さいネ。
さて、才市さんが自分のことを枯れた花にたとえられてみえるとのこと、才市さんらしいですね。私の場合は真夏の手抜き内仏の華瓶状態であります。水が腐って迷惑を振りまいています。
今年の通夜布教で 煩悩は言葉である と云われた方がみえましたが。
煩悩言葉は 普通の人間には理解出来ないのですが、大した翻訳力が
無い者が なまじ 人間の言葉に翻訳して他言するので大波が立って
大変な状態になっております。煩悩は阿弥陀さんにだけ話すことに
しようと反省しておるところです。

こんにちは,お返事遅くなりました.
夏が暑かったからバランスを取るために・・・でもないでしょうが,ひどい雪でしたね.

トヨタカアレンダ-は初めて聞きましたが,なんとなく納得しました.在庫をできるだけ持たずに,必要なとき必要なだけ納品させるとうシステムがありましたね.何か名前が付いていて,海外でも注目・採用された素晴らしいシステムと賞賛されているのを読んだことがあります.
昔は地元の若者をたくさん雇うといい社長と言われたが,今は首切りを進めて収益を上げるといい社長といわれる,という嘆きがどこかで紹介されていましたが(ひょっとして釈破旬のblog?),在庫なしシステムを賞賛することと,大量首切りを実施して企業を再生させた社長を賞賛することとは,何か通じるものがあるように感じました.

後の十月十日,私の中ではいろんな屁理屈が渦巻きそうな気配です.その一端はそのうちご披露することになるでしょう.でもこれも一種の“逃げ”なのかもしれません.現実との間に理屈を置いて,直視を避けるという・・・なんてことは,それこそ,阿弥陀様にだけ話せばいいことか?

年末に聴いた法話で、法然上人までの流れを師とされていた
親鸞聖人が 従来の 真と偽 の思想の間に 仮 という考えを
挟んだ。 と云われていました。いつまでも 仮 に留まっていては
いけないでしょうが、方便として 一時的に 仮 に身を置くことも
必要ですね。
T社の悪口を言い出すときりが有りませんが、二つだけ
①just in time(カンバン方式)と云われて国内や海外の企業が
研究し導入しているようですが、要は、自分で持っていた在庫を
下請けに持たせ、その日に生産する部品をトラックに積ませ
道路を倉庫代わりに使うという方式でした。工場門前や道路に
入場時間を待つトラックが列をなしています。
②T社が米国に初めて工場を建設したとき、日本国内の感覚で
社会の事を考えず、ハロ-ウィンの日を労働日にしたところ、
従業員が出社してこず、その日は休業になったとか。また、地方から
若者をかきあつめて大きくなった会社ですが、成人の日が休日だった
ことはありません。
お互い阿弥陀さまと 密談する機会が増えそうな一年ですね。黙って
聴いてくださる、有難い存在です!!

 さっそくお返事をありがとうございました.
 化身土の二つの味わいを思い出しました.「白紙の上に一点の墨を落とすことによって,いよいよ十八願の真意が明らかになる」のですが,一方で,何としてでも救わずにはおかないという慈悲の表われとも聞かせて頂いています.
 屁理屈でもよい,人情話に涙するのもよい,荘重な儀式に感動するのもよい,ともかくこちらに目を向けよと.

>ハロ-ウィンの日を労働日にしたところ、従業員が出社してこず、その日は休業になった
“戦前は,何月何日は家族そろって歌舞伎を見に行く日などと家ごとに決まっていて,その日は子供も学校を休んで観劇に行ったものだ”という話をどこかで読んだことがあります.真偽のほどは知りません.そもそも毎年歌舞伎を見に行くような家は少数派だったと思います.また,社会全体の習慣と一つの家の習慣とは重みも違うでしょう.でも,会社や学校にすべてが呑み込まれることを拒否する姿勢として印象的な話でした.ま,私は世俗の職務上,学校を休んで旅行にいくなどとんでもない・・・などと言ってるのではありますが.

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