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藤実無極先生のご紹介 その2
旧ブログ 2010年5月30日 (日)

 前回に続いて,今年の才市顕彰法要のご講師である藤実無極先生のご法話を紹介します.

わしとあなたは うみのみず
ぼんのうのまみずはいれど みなしおで
これがふかしぎ なむあみだぶつ
(『ざんぎとがんぎ』 p.113)

 才市さんはよく仏さまのことを「親さま」さらには「あなた」と表現しています。このうたも親しみのこもった「あなた」を使っています。才市さんの住んでいた温泉津町小浜は、すぐ目の前が海です。若い頃に船大工をし、小さいときから海は切っても切れない生活の場でした。よく海のはたらき、海の性質を知っているからこんなうたができたのです。その海に煩悩の真水が入るけれども、いくら入っても海の水は塩からい水にしてしまう。こんな不思議なことはないと、日常生活のなかで感じていたにちがいありません。それはまた毎日おつとめする『正信偈』の「如衆水入海一味」をよくご法話で聞いていたこともこのうたに表われたといえましょう。いかにもご本願の海は、いかなる水も一つの塩からい味にしてしまう大きなはたらきがあると味わったといえます。

[中略]

このつぎは なむあみだぶの
さとにかえるぞうれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.58)

 このいのちつきれば、今度こそ南無阿弥陀仏の里に帰ることができる、なんとうれしいことよ---と才市さんは親里(お浄土)に帰る喜びをそのまま表わしています。まさに往相《おうそう》の味わいでありましょう。そして、次のうたに

つぎのよに 生をえて
しゅ生さいどを させていただく
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.38)

と、今度はお浄土に生まれ、そのうえで---衆生済度をさせていただきます。これは還相《げんそう》の味わいでありましょう。そうです。単にお浄士に生まれ、じっとしているのではありません。仏であるものは仏にならなければならないために、また還相のご苦労があるのです。それはちょうど海の波が寄せては帰るあの波と同じと申せましょう。
 宗祖聖人は『御臨末の御書』に「我が歳きはまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲《うらわ》のかたを狼の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ・・・」とお示しになりました。『ご本典』教巻の初めに「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり。」と、聖人は浄土真宗の特色を打ち出されたのでした。才市さんは、浄土真宗の特異性を、身をもって喜び、味わったといわねばなりません。

【補足】 藤実無極 「なむぶつはわしがぶつ」(『ざんぎとかんぎ:浅原才市のうた』, 妙好人石見の才市顕彰会編(1991) の巻頭法話(pp.29--42))より.上の引用は同書pp.33--34, 37--40.
 因みに,才市さんの歌には,還相廻向の味わいがよく出てきます.藤実先生のお話にもある通り,これは浄土真宗の特色のひとつですが,えてして,忘れられ勝ちではないでしょうか.自分の救いにばかり気をとられて.
 動物愛護協会の前身に当たる会の発足当時の会員の中に梅田謙敬という名があります.確認していませんが,たぶん,安楽寺の梅田謙敬でしょう.また,謙敬は,雑誌『中央公論』の母体となった会にも関係していました.社会的問題への関心が強かったことが推定されますが,あるいはこれが,才市さんの還相廻向へとつながったのかもしれません(以上は,単なる憶測です).

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