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[才市] なんの苦もなく 浮世を過ごす
旧ブログ 2012年1月19日 (木)

みだの浄土に かえるひと
なんの苦もなく うきよをすごす
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, p.209)

 先日,一卵性の4つ子の話をTVでみました.
 分け隔てなく,まったく同じように育てられたはずなのに,4つ子の内の一人が,家から出て,外の友達と遊ぶのを好むようになったのだそうです.母親が心配して心理学者に見せたところ,テストを受ける態度が,やはりこの子だけ違っていた.試験官の持っているお人形の頭を撫ぜてみるなど,積極的で物怖じしない態度が際立ったそうです.そして,母親に対する気持ちも他の3人と違っいて・・・自分は母親から特に大切にされていると感じているということでした.
 実は,この子は,未熟児として生まれた4人の中でも一番小さかったのだそうです.だから,母親は4人に平等に接しようと努めながらも,この子のことを一番心配していた.それが,ちゃんと伝わっていたわけです.

 興味深いのは,母親から大切にされているという感覚が,母親ベッタリの態度ではなく,母親(あるいは家庭や姉妹)から離れて,物怖じせずに外の世界に向かっていくという態度をもたらしたことです.このTVを見て,昔読んだある発達心理学の実験の話を思い出しました.

 広い部屋の中央におもちゃや人形など,子供が喜びそうなものを置いておく.部屋の周りには壁に沿って椅子を置き,子供をつれたお母さんに座ってもらう.そして,子供を床におろして,その行動を観察します.やがて子供たちは,母親の元を離れ,中央のおもちゃの方に方にいって遊び始める.このとき,母親との心理的結びつきが強い子ほど,早くから母親の元を離れ,部屋の真ん中で知らない子といっしょに遊ぶ傾向が見られたということでした.

 4つ子の話と似ていますね.母親との絆の強い子ほど,母親から離れにくいような気がしますが,でも,頷けるような気もします.母親はいつも自分を守ってくれている,決して見捨てないという思いが強い子ほど,外の世界に大胆に出て行けるのではないでしょうか.

 才市さんの口あいは,阿弥陀様の浄土という帰るところがあるから,浮世の苦も苦とはならず,力強く,のびのびとこの世を生き抜くことができる・・・という意味でしょう.上の二つの話に似ているように思いました.

【補足】
 二番目の話は,はるか昔に読んだように思います(岩波新書だったような?).こういう心理学っぽい話は,一般化や解釈を間違えやすいので,そんな話もあるらしい,程度に聞いてください.

コメント

体調いかがですか?
私は本山での通夜布教を聴聞した影響の疲れがなかなか抜けませんでしたが、どうにか復調いたしました。回復力が目に見えて衰えて来ていることを実感いたします。
今回の才市さん
>なんの苦もなく うきよをすごす
と言われていますが、才市さんの一生を少し知るに、とても苦がなかった
とは思えませんね。世間の苦と言われていることをにとらわれていなかったということでしょう。
昨年温泉津にお邪魔して、才市さんの家に上がらせていただきましたが、あの家を70才をすぎてから建てられたと説明がありました。資産家ではないので、コツコツとされた蓄えや後の返済をされたご苦労を憶念したことです。
母親(父親でないのが情けない)も生身の体ですので四六時中見守ることは物理的にも無理ですが、その思いや願いは母親の体を離れて子供たちに常に寄り添っているということですね。曇鸞和讃に「煩悩菩提体無二」ということばが出てきますが、煩悩である私と菩提である阿弥陀さんは同じ体の中に共生しているということでしょうか。いずれにしろありがたいことですね。

お返事遅くなりました.お疲れがとれたようで何よりです.当方,相変わらずはっきりしない感じです.

>世間の苦と言われていることにとらわれていなかった
まさにそういうことでしょうね.世間でいう「苦」がなくなるのではなく,その「苦」によって苦しめられることがなくなる・・・.

「無碍の一道」とは,老病生死の障りがなくなるのではなく,それが障りにならないような力強い生き方のことだ,と聞かせていただいたことがあります.

「煩悩菩提体無二」については,手元の本から抜粋します.

私の煩悩と仏の菩提(さとり)が本来一つ(体無二)のものであるとさとらせてくださるのも本願念仏のはたらきであります.このことは,もちろん,煩悩の身がそのまま菩提の身であるということではありません.煩悩の身である私に,南無阿弥陀仏がはたらいて,お浄土で菩提の身にさせてくださることをこのようにいわれたのです.
(北塔 光昇『高僧和讃 (聖典セミナー 三帖和讃II)』 本願寺,2000, p.102)

才市さんなら,

 ぐちがでたでた またでたよ
 なむあみだぶと 連ろうてでたよ
 機法一体 これがこと
 よこめふらずに これをたのしむ
 ごおんうれしや なむあみだぶつ
 (『ご恩うれしや』pp.240--241)
 http://houju.txt-nifty.com/blog/2010/08/post-b027.html

というところでしょうか.

>父親でないのが情けない
ちょっと話は違いますが,例の阿闍世王が母親を殺そうとしたとき,「父王を殺して王位についた王はたくさんいるが,母親を殺すような人でなしは王とは認めぬ」(記憶による要約引用)と大臣がいさめる場面がありますね.そっか~,て溜息がでました(^^;).そういっている大臣も父親なんですよね.

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