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[才市] わしの心は わやわやで
旧ブログ 2011年2月20日 (日)

わしのこころは わやわやで
くもともとれぬ
きりともとれぬ
かぜともとれぬ
とりとめのつかぬ このこころ
しょうがない
さいちたすける おやのおじひよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』, pp.87--88)

 前回,怒らせて言わせたことが“本音”だろうか,と書きましたが,そもそも“本音”とは何でしょうか.“本音と建前”という言い方をよくしますが,“本音”と“建前”は,それぞれ,そんなにはっきりしたものでしょうか.

 『惑星ソラリス』という小説/映画があります.この小説/映画の舞台は,ソラリスと呼ばれる惑星で,そこには,人の心を読み取ってその願望を現実のものとする力を持つ広大な海がありました.そうとは知らずソラリスに降り立った人々は,海によってそれぞれの願望がかなえられます.しかし,それには大きな代償があって・・・というのがよくある話ですが,ソラリスの海は何も求めません.ただ,人々の願望を正確に読み取ってそれをそのまま無条件にかなえてくれのです.ソラリスの海は慈悲深い神のような存在であり,人々は願いが実現して幸福に暮らしました,メデタシ,メデタシ・・・とはならないのですね,これが.
 たとえば,ある人物は,あるひそかな欲望が満たされます.人倫に背き,それゆえ無理やり押さえ込んでいた欲望,本人さえも明確に意識していなかった欲望,そんな欲望が満たされる状況が自分の部屋に出現します.彼は困惑し,その欲望を恥じて部屋に閉じこもりながら,でも,その部屋の中で欲望に溺れていきます.ソラリスの海は慈悲深い神なのか,それとも意地の悪い悪魔なのか.そんな問い掛けをよそに,ソラリスの海は人々の願望を正確に探知し,実現していく・・・.

 さて,彼の場合,本音は何でしょうか.ひそかな欲望が“本音”で,それを“建前”で押さえていたのでしょうか.しかし彼は,自分の内にそんな欲望が潜んでいたこと困惑し,それが出現させた状況を本当に厭っています.では,その欲望は“本音”ではないのかというと,そうでもありません.彼は,自分が何を望んでいたかに気づき,それに溺れていきます.自己嫌悪に苦しめられながら.“本音は何か”と問われても,彼は答えることができないでしょう.「とりとめのつかぬわが心」・・・.
 そんなたよりない心に人は責任がとれるでしょうか.そんな心がひそかに抱いていた欲望が強制的に開放されたとき,人は,その責任を負えるのでしょうか.ソラリスに来るまでは,ソラリスの海にそんな力があるとは誰も知らなかったのです.
 自分の心やそれが出現させた状況に責任を負うことさえできない,頼りない存在,何が本音かどうかもわからない「わやわや」な心に翻弄される惨めな存在,それが私たちの姿ではないでしょうか.心身消耗状態で犯した犯罪は,責任能力が低いとの理由で刑罰が軽くなりますが,仏の目から見れば,私たちは心身消耗状態なのかもしれません.

 父王を殺した阿闍世王に対し,お釈迦様は,それはあなたの責任ではないと,一見,非道徳的なことを言います.でも,これも同じことを言っているように聞こえました.人は,自分の行為に責任を負うことさえできない悲惨な存在であると.

狂酔して犯してしまう過ちは,本心ではないという意味で罪であると断言できないかもしれない.しかし,そうであるからこそ,仏の本願に生かされているものは,煩悩の深さ,錯乱の恐ろしさをよく知って生きていかなければならない.そう親鸞はとらえている.
 したがって,狂酔から暴走した行為は,罪といえないということだけを,釈尊がいっているのではない.人は悪い縁にふれたら,どのような恐ろしいことをするかわからないという深い罪業を宿しているからこそ,心静かに自分をふりかえることが必要であると,釈尊と親鸞がといているのである.
(鍋島, p.208)

【補足】
 鍋島:鍋島直樹『阿闍世王の救い』(方丈堂出版, 2004).
 『惑星ソラリス』は,小説も映画もウン十年前の記憶を元に書いているので,不正確なところがあるかもしれません.

以下,オタク的余談:
 “ネタバレ書くならそう言ってよね”とご立腹の方もいらっしゃるかもしれませんが,これは“小ネタバレ”ですので,ご安心ください(?).上に書いたのは,舞台設定の部分の“ネタバレ”で,この舞台の上で“本ネタ”が展開していきます.
 『惑星ソラリス』と『2001年宇宙の旅』はSF映画の双璧ですね.どちらも映画と小説があり,それぞれが面白い(片方を見る/読むともう一方が面白くなくなるということはない)という意味でも,並び立っています.ただ,『2001年』の方は小説と映画が補完的な関係にあるのに対して,『ソラリス』の方は,小説と映画が,同じ舞台設定を使いながらずいぶん異なった印象を与えます.それが一番はっきり表れているのが終わりの部分でしょう.それこそ“ネタバレ”になりますので詳しくは書きませんが,小説の方は,SFが好んで取り上げるある感覚を感じますが,映画の方はずいぶん違う印象をのこします.あえて言えばP.K.ディックの小説と似た感じ?

コメント

御存知かもしれませんが、es(エス)というドイツ映画があります。
人間がいかに環境に支配されるか。あたかもその役割を与えられ、
無意識に演じさせられる苦しさを描いています。
しかもこれは実話を基にした映画です。
かなり内容の重たい映画ですが、是非ご覧下さい。
(今回のブログとはちょっと趣旨がズレますが・・・)

 『es』は知りませんでした.少し検索してみましたが,すさまじい実話(実験)を基にした気の滅入るような映画のようですね.
 実験の方の話ですが,途中で実験の中止を進言されながらそれを斥けた教授が,自分も飲まれてしまって正常な判断力をうしなっていたと後に語ったとありました.これも恐ろしい.人の運命をもてあそぶ万能の神になった気分だったのでしょうか? 
 縁さえもよおせば・・・を強烈に表現した映画のように感じました.amazonでは中古DVDに結構な値段が付いていたので,即注文とはいきませんでしたが,かならず見ようと思っています.ご紹介くださりありがとうございました.

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