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[才市] 親が不思議なら子までが不思議
旧ブログ 2010年8月 4日 (水)

おやが ふしぎなら
子までが ふしぎ
ふしぎ ふしぎの なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.83)

 SFの方で,こんな話があります.

この世界は5分前に忽然と作られた.ただし,歴史上の文書や化石などの過去の記録も,私の記憶も,今ある形で.

 そんなバカな,と言いたくなる話ですが,でも,証拠を挙げて反論することはできません.つまり,これは「反証不能」な主張で,科学的に言えば,科学の対象にならない理論です.でも,何かしら私たちに訴えるものがあります.私がいまここにいる,そのあり方の不思議を思い出させるからではないでしょうか.すべては,この“私”の中に存在する・・・?
 才市さんにこういう私の不思議を歌ったものがないかと『ご恩うれしや』を少しめくってみましたが,見つけることができませんでした.いや,そんな歌を探すのは,どうも見当違いだったようです.才市さんの歌にも「ふしぎ」という言葉はたくさん出てきます.でも,それらはすべて“南無阿弥陀仏”の不思議,如来の働きの不思議でした.上掲の歌は,かろうじて自分の不思議を言っていますが,でも「おや」(阿弥陀様)の不思議が主ですね.

 そうでした.私の存在が不思議であることはその通りです.でも,“私という存在はなんて不思議なんだろう”と言っているうちに,“私”を世界の中心に据え,それを熱心に覗き込むという落とし穴に落ち込んでしまう.後は,小さな私への無限後退.そして,今ここにいる私の不思議さえ見失ってしまいます.
 この落とし穴を跳び越し,私の不思議の背後にある,私を超えたものの不思議に気づかせてくれるのが,「他力」の味わいではないでしょうか.「罪の算段無用なり」という歌の句を借りれば“私の算段無用なり”だったのでした.

【補足】
 この世界は5分前につくられた・・・といった議論は,SFでときどきお目にかかるのですが,ちょっと今,具体例が思い出せません.P.K.ディックあたりにありそうな感じですが.この変種として,人類は他の惑星で進化したのだが,あるとき(原人の段階で),宇宙人によって化石ごと地球に移住させられたというSFを読んだことがあります.子供向け雑誌の付録だったような・・・と思って検索したところ,どうも,これのようです:「あの宇宙のかなたから」 チャド・オリバー 作, 学習研究社, 1970, 「中学二年コース」3月号付録,文・福島正実 表紙イラスト・柳柊二 挿絵・岡野謙二.で,この小説の原題は“Transfusion”で,浅倉久志の訳が『SFマガジン』76号にのっている,と.いや~,インターネットは便利ですねぇ.私が読んだのは,「中二コース」の付録の方でしょう.懐かしい雑誌名です.
 なお,進化論を認めない宗教で,これに類した主張がなされることもあるようです.
 また,「反証不能」については,ややこしい議論があるようですが,私の手に余るので(^-^;),パスします.興味のある方は,とりあえずWikipediaの「反証不能性」の項をご覧ください.この世界は5分前に・・・という命題も,もともとは哲学の方から出ているようです.これについても,Wikipediaの「世界五分前仮説」(B.ラッセル)をご覧ください.

 この記事の日付は4日になっていると思いますが,実は,4日には出かけています.これは,公開日を4日に指定して,2日夜に投稿しました.この機能は便利ですね.日・水に投稿という目標を7月は完遂したかのように見えますが,実は・・・(^-^;).

コメント

こんばんは
   おやを阿弥陀さまと考えずに、私で云うと現実の4人の親である
自分とかいしゃくすると。長男は父親の頼みで毎週1or2回名古屋別院の教化センタ-にカセットテ-プを借りに通ってくれますし、次男は毎晩(たまにサボル)一緒にお勤めをしてくれます、長女は他県に住み、たまに三つ折ご本尊でお勤めをしている。次女は本山の夏の集いに小中高と通い続けて常連になっています。そんな年代に親の私はな~んにもしていませんでした。親はちっとも不思議でははりませんが、子どもは全員不思議な人たちです。ありがたいですね、なんまんだぶ!!

 こんばんは.お返事遅くなりました.京都に行ってきました.もっとも,京都と言ってもお寺の用事ではなく,「教員免許更新研修」だったのですが.でも,龍大で唯識の話を聞いてきました.世界は私の中にあるのかないのか・・・.

 皆さん,すばらしいですね.

 そういえば,親は子供が小さいときから今までのことを知っているけど,子供は親の若いときのことをしらない,これが親の強みだ! って言った人がいました.

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