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[才市] わしの父親 八十四才 往生しました お浄土さまに
旧ブログ 2010年4月25日 (日)

わしの父親 八十四才 往生しました お浄土さまに
わしの母親 八十三で 往生しました お浄土さまに
わしもいきます やがてのほどに
親子三人もろとも(に) 衆生済度の身とはなる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 2-9 p.242--243)

 昨日,今日と,ご導師(ご講師)に光現寺様(妙好人善太郎さんのお寺)をお迎えして,永代経法要をお勤めしました.

 浄土真宗の永代経法要は,‘亡くなられた方が迷わないようにずっとお経をあげる法要’ではありません.‘亡くなられた方が迷う’というのは,実は,‘そう言う私が迷っている’というのが,真宗の教えです.
 自分の死後が不安だから,先立たれた人についても迷っているのではないかと不安に思う.あるいは,縁さえもよおせば,どんな事が起こるかわからないという惨めで頼りない自分の姿を直視できないから,何かあれば‘~~の霊が祟っている’と先立たれた方に濡れ衣を着せて,ますます深い迷いの世界に踏み込んでしまうのです.
 阿弥陀様のはたらきによって,この私も,間違いなくお浄土へ往生させていただくと知らされたとき,先立たれた方も間違いなくお浄土へ生まれているとわかります.ですから,残されたものが,先立たれた人のために何かをしてあげる必要はない.それどころか,お浄土に生まれた方々は,残されたものを救うために働いておられます(「衆生済度の身とはなる」).
 先立たれた方のご縁によって仏法を聞かせていただき,それを先立たれた方の働きと喜ぶ.そして,「やがてのほどに」この私もお浄土に生まれさせてもろうて衆生済度の身とならせていただく.このようなご縁がずっと続くようにと勤めさせていただくのが永代経法要です.

前に生まれるものは後のものを導き,後に生まれるものは前のもののあとを尋ね,果てしなくつらなって途切れることのないように
(『教行信証』)

【補足】
楠 2-9 pp.242--243:楠 恭 編『定本 妙好人才市の歌 全』 二の第九ノート(二のpp.242--243)

『教行信証』:親鸞聖人『顕浄土真実教行証文類(現代語訳)』(本願寺) p.646.
『真宗聖典注釈版』では p.474.

【119】 『安楽集』にいはく(上)、「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」と。{以上}

 永代経については,いろいろ思い悩まれる方が多いようですね.ネット上にもたくさんのことが書かれています.たとえば,真宗サイトでは老舗(?)の寺子屋ネット(本願寺派蓮浄寺様)には,「門徒の心得:4. 永代経とは(故人への追善供養ではない)」というページがあり,末本弘然著『仏事のイロハ』(本願寺)に従って,永代経の意味がわかりやすく書かれています.また,こんなページも目に留まりました.お寺にとっては耳の痛い回答もあります.「良回答」に選ばれている「amida3」さんの回答は,都市部のお寺の立場から,永代経懇志の金額や寺の経済的事情にまで踏み込んで答えておられます.田舎の寺も楽じゃないよっ!て言いたくなるとこもあり(^^;),一口に真宗のお寺と言っても,事情は様々だなぁって改めて思いました.そういうわけで,金額やら台所事情については一例として読んでいただいたほうが良いかと思いますが,永代経の意味については書かれている通りです.

 補足の補足:実は,私はまたまた腰痛がひどくなり,実際のお勤めは前住職である父が代わって勤めました.申し訳ないことです.

コメント

こんにちは
よく法話を聞いていると
>前に生まれるものは後のものを導き,~
をまるで親鸞聖人の言葉であるように話される講師が見えますが
ちゃんと
>『安楽集』にいはく
が有って一安心!! 道綽禅師の安楽集からの引用ですが、集 という書物なので道綽禅師もどこからか引用されているのでしょうか?
出典を明らかにすると、親鸞聖人と道綽禅師のお二人が並列にありがたく感じられるような気がします。七高僧の中では少し目立たない方だけにPRを心がけて
欲しいと思います。
永代経の話、門徒としても耳のいたいことであります。永代経だけでなく、葬儀式
のありかたなど、僧俗ともに真剣に考え直す時期に直面しているようです。
政治、行政、経済などすべての面でもいえる時代ですね。
劫濁の字が思いつきました。

こんばんは.コメント有り難うございました.

 教行信証経由の安楽集の引用は,最初,「親鸞聖人が引用されている安楽集の・・・・」などと書きかけたものの,ごちゃごちゃするので,上のような形にしました.細かいところまで見てくださり,有り難うございます.
 安楽集は,実は,通読していないのでよくわかりませんが,おっしゃる通り,たくさんの引用からなる書物のようです(もっとも,論師の著作,特に漢文で書かれた,今で言うと論文に相当するような書物はそんな感じものが多いようですが).
 ただ,「前に生ずるものは後を導き・・・」は,ざっと前後を見た感じでは,形式的にも内容的にも道綽禅師ご自身のお言葉ではないかと思いました.
(『浄土真宗聖典 七祖篇(注釈版)』pp.184--185)

>な気がします。七高僧の中では少し目立たない方だけにPRを心がけて
>欲しいと思います。

 やっぱりそう感じられますか.実は私も,道綽禅師は少し影が薄い感じがしていました.これについて,以前テレホン法話でお話したことがありますので,近いうちに原稿ファイルを探し出してアップします.‘ああ,確かに道綽禅師のご功績は大きかったのだ’と,私なりに納得させていただいた話です.

 今のお寺のあり方を考え直す時期ではないかと言うことは,私もよく感じることです.かって,比叡山が大伽藍を誇っていたとき,法然上人や親鸞聖人は草庵で念仏の教えをお説きになりました.また,蓮如上人はご本山を再建されましたが,あの奇跡的な布教の元になったのは,むしろ,広めの民家にご本尊を掲げたようなところではなかっただろうかと想像しています.ひょっとして,今の真宗寺院はかっての比叡山のようになってしまっているのかもしれません.これも「劫濁」でしょうか.その一方,せっかくこれだけの形ができているのだから,壮大なことを言ってないで,この形を生かす地道な努力をすべきだとも思います.う~~ん・・・.

丁寧なコメント返しありがとうございます。
書き忘れたのですが、才市さんのご両親は長寿でしたですね。親鸞聖人をはじめ念仏者が
結構長寿の方が多いことの要因には、朝晩のお勤めにあると考えます、内仏の前で思い切り
大きな声でお勤めすることは、結構な運動になりますし、スカットとストレスの発散にもなり
毎日が気持ちよく過ごせるようなきがします。
>せっかくこれだけの形ができているのだから・・・
昨年の御正忌報恩講の通夜布教で、100年前の大縁忌100万人、50年前の大遠忌60万、来年40万
とお参りの人数の変遷を話されていた方がみえました。交通機関の発達や、門徒の経済力を考えると
もっと格差は広がるような気がします。数が多ければいいとは思いませんが、量的変化は質的変化を引き起こす
とも云います。団体参拝で半強制的に動員するのではなく、自発的にお参りせねば!という人をふやしたいものですね。
ちなみに、幕末に消失した東本願寺の両堂の屋根の瓦は私たちの先達・三河門徒が全量寄進しましたが、当時
各家に今の金額で25万円を相続項として借金して払ったと聞きました。500万円を超える高級車に乗っている人を多く見かけますが、本山に25万円も寄進したひとを、ほとんど知りません。我が家はこの不況で出したくても出せませんがネ・・長文失礼

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