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[才市] ただの念仏 わたしゃ用なし
旧ブログ 2011年6月26日 (日)

念仏は 仏の念仏
仏が申する 仏の念仏
ただの念仏 わたしゃ用なし
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
(『ご恩うれしや』, p.163)

 この口あいは,どういう意味でしょうか.
 1,2行目は,“私の称える念仏は,阿弥陀さまの願いが私に届いたもので,実は,仏様によって称えさせていただいている念仏である”ということですね.「虚空からわしに響くが南無阿弥陀仏」など,このような口あいは他にもたくさんあります.問題は,3行目の「ただの念仏 わたしゃ用なし」.二通りに理解できそうです.

 (1) 前を承けて,“ただ称えさせていただいている念仏である,だから私はなにもする必要がない,ごおんうれしや なむあみだぶつ”
 (2) 前から転じて,“それに対し,ただの念仏,私が自分で称える念仏は私には無用である.ありがたいのは仏が称えさる南無阿弥陀仏である”

 さて,どちらでしょうか.

 『ご恩うれしや』には,この二つ前に次のような口あいがあります.

ただ もうすばかりよ
もうすとは
ぶつに もうされるのよ
(『ご恩うれしや』,  p.162)

これを見ると,「ただの念仏」とは,「ただ もうすばかり」のお念仏のことのように思えます.つまり,(1) が正解.
 ところが,才市さんのノートでは,この口あいのすぐ前に次のような口あいが記されています.

十八願は直の法
十九,二十は直の前なり
(鈴木, p.293)

 この口あいでは十八願と二十願が対置されています.それに続く口あいでも,他力のお念仏と自力のお念仏が対置されている,つまり,(2) が正解という気もします.
 さて,どちらでしょう?

【補足】
 鈴木:鈴木大拙『妙好人 浅原才市集』.
 冒頭の口あいは,『ご恩うれしや』, p.162 にありますが,鈴木大拙, p.293に依って多少手を加えました.

 コメントで「阿弥陀様は至極単純な仏さま 照らすだけ」という言葉を教えていただきましたので,その連想から書いてみました.私は (1) のような気してならないのですが,逆説的表現に弱いという悪癖によるのかもしれません.

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