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[才市] あさましいのも 嘘の皮
旧ブログ 2010年11月 7日 (日)

わがこころ 見えもせず
りんじゅう《臨終》に 見える心が鬼となる
あさましあさまし
あさましいのも うそよの うそのかわよの
かわ かわ うそのかわ うそのかわ
うそのかわ うそのかわ うそのかわ
あさまし あさまし
あさましいのも うそのかわ
(『ご恩うれしや』 p.99)

 何かの本で「仮想的有能感」という言葉を読みました.「有能感」,つまり,“オレはできる”という感覚は,普通は“できた!”という経験に基づいているわけですが,そういう経験がないのに,“やればできる(やってないだけ)”と思うことを「仮想的有能感」と言うのだそうです(心理学の専門用語か,この著者の造語かは忘れました).
 このような「仮想的有能感」は多かれ少なかれ誰でも抱いているものだが,これが異様に肥大した若者が増えているというのがこの著者の主張でした.そのもっとも極端な表れとして,“オレにはすごい才能がある,何の才能かはわからないけど”という奇妙な確信を抱き,その確信に基づいて(あるいは,その確信を強化するために),他人を見下す若者が多くなっているそうです.
 若者論として妥当かどうかはここでは置いて,「仮想的有能感」は誰でも持っているという指摘に興味を引かれました.仮想かどうかは別として,有能感がまったくなければ,生きていくのが相当苦しいのではないでしょうか.誰でも,生きていく支えとして,なんらかの有能感を必要としている.そう考えれば,「仮想的有能感」も,自分を支えようと必死になっている姿を表わしているとも受け取れます.
 自分はダメだと言いながらも,そう反省できる自分はたいしたものだという思いがどこかにある.それに気づかされたのが「あさましいのも うそのかわ」ではないでしょうか.

【補足】
 う~~ん,才市さんのこの歌の味わいとしては,ちょっと飛躍しすぎかなぁ?(^-^;).
 「仮想的有能感」について読んだのは,『他人を見下す若者たち』というような題の本だったと思いますが,確認していません.内容についてもうろ覚えで書きました.

コメント

お久しぶりです。
しばらくパソコンと仲良くすることが出来ずにいました。
米国の子供は 一日のうちで 7時間を画面(テレビ、パソコン、携帯電話、ゲ-ム機などか・・)の前で過ごすそうです。日本の子供やオジサンは
如何?
仮想的有能感 ですか やる気はあるけど身体がついてこない世代の
私も むかしとったきねずか症候群に冒されていますので、お仲間かもしれません。
同朋大学の池田勇諦先生は ご自分のことを「たくあんに捨てられた」と云われたそうです、お年で派が弱り、若いころはバリバリと食べられていたたくあんを食べられなくなったようです。老いの自覚としては面白い表現ですね。
詳しくは訊きませんが
>実は,私の方こそ,破旬さんのお話を聞いていると申し訳ない気持ちに  なります.
などとお考えめさるなかれ!!
嘘の皮を何重にも身にまとっていて、実態が解らないほどに化けているのですからね。
>自分はダメだと言いながらも,そう反省できる自分はたいしたものだと   いう思いがどこかにある.
まさにどこかに有るどころか、これが正体であります。

こんばんは.
お仕事の関係だったのでしょうか?
画面の前で7時間と聞くと,ととんでもない!と思ってしまいますが,でも,きちんと合計時間を計ったら,案外そのくらいの数字は出るかもしれません.
 「むかしとったきねずか症候群」ですか・・・.その裏返しですが,“むかし取らなかったきねずかは拒否”症候群を自覚することが最近増えてきました.要するに新しいことについて行けないということです.年を取って人間が古くなるとはこういうことだったのですね.
 嘘の皮を何十にもまといながら・・・ちょっと思い出した(というか連想したこと)がありますので,今から記事として書きます.予定していた文章が仕上げられなくて,今週の水曜日の記事はパスになりそうでしたが,なんとか,週2回更新の格好だけでもつけときましょう.お題のヒントを頂き深謝!

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