さいちゃ
りん終すんで 葬式すんで
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて
なむあみだぶと うきよにをるよ
(『ご恩うれしや』 p.204)
“臨終に阿弥陀様が迎えに来てくれればお浄土行き,そうでなければ地獄墜ち.葬儀はそれを決する大切な儀式” という考え方があります.これに対し,浄土真宗の教えでは,信心をいただいたときに,お浄土へ生まれさせていただくことが確定します.したがって,お浄土に生まれるか地獄へ墜ちるかが決まる時を“臨終”とか“葬式”と言うのならば,それはもう済んでいる(お浄土行きがもう確定して,心はもうお浄土にあるようなものだ),という口あいです.
ところが,この話,逆の方に転んじゃうことがあります.つまり,即身成仏を目指すような間違いです.もちろん,即身成仏を目指すこと自体は,仏教として間違っているわけ
ではありません.ただ,私にはそれができないから阿弥陀さまのみ教えに従うのです.それなのに,阿弥陀さまのみ教えに従うような顔をして即身成仏を目指す・・・.
さすがに,真宗を標榜しながら即身成仏そのものを説く人はいませんが,でも,似たような主張は聞いたことがあります.いったん信心を得れば,「金剛心」を得ることができる.そして,この「金剛心」とは,悩んだり迷ったりしない強固な心のことである,と.
「なむあみだぶと うきよにをるよ」は,そんな間違いに対する大切な押さえと味わうこともできるように思いました.
【補足】
『ご恩うれしや』:石見の才市顕彰会編『ご恩うれしや』, p.204.