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[才市] 凡夫のたのしみ 水のあわ
旧ブログ 2012年6月18日 (月)

なにごとも凡夫のたのしみ 水のあわ
けえて《消えて》 ふくれて またけえて
しまいにゃ び び 泣くばかり
つまらん つまらん
のちはじごくに おちるかな
(『ご恩うれしや』, p.231)

 「もう半分なくなった」と言う人と「まだ半分ある」と言う人がいる・・・というのと似た言い方で,おいしいものを最初に食べる人と,最後に取っておく人がいる,というのがありますね.
 私は取っておく方で,本なども,本当に読みたいものは大事に取ってありました(誘惑に負けて読んでしまったものも多いけど^^;).でも,最近,そんな本に手をつけ始め・・・とんでもない誤算に気づきました.あれだけ楽しみにしていた本の中に,それほど面白くないものがあるのです.たとえば,エラリー・クイーンやディスクン・カーの推理小説の一部.内容を誤解していたのではなく,こちらが変わってしまったのですね.
 先日,ある本を読んでいたら次のような一節に出合い,思わず苦笑してしまいました.

読んでいないのには理由があって,老後の楽しみに取っておきたいから.この前,たまたま手に取ってみたら,止まらなくなりそうになって慌ててページを閉じた.(鈴木)

 この本自体,以前なら,老後の楽しみに回していたかもしれない本です.そんな本で,こんな時に,こんな言葉に出会うなんて・・・.“分かる,分かる! でも,面白いと思える時に,そして読める時に,読んでおいた方がいいよ”って,思わずつぶやいてしまいました.著者の鈴木氏はスタジオ・ジブリの社長さんで,私より年上のようですけど.

 さて,才市さんの口あいですが,「凡夫のたのしみ」が「水のあわ」になるのにも,いろいろな場合があるようです.蔵書が水害で流された,退職旅行の資金が銀行の倒産で消えた,などの他,蔵書を読む前に死んでしまった,病気になって旅行に行けなくなった,ということもあるでしょう.そして,若い頃はあれだけ楽しみにしていたことが,今はアホらしくて全然楽しめない・・・.
 楽しみの対象が無常であることには気づきやすいのですが,それを楽しむ自分が無常であることには気付きにくいように思います.まして,病気とか死という劇的な変化ではなく,興味の移ろいといった変化の場合には,「水のあわ」になった原因としては意識されにくいのではないでしょうか.
 さて,今回の最後は,柄にも無く(^^;)恋愛論風アフォリズムにまとめてみます:
相手の心変わりをなじるのはたやすい.しかし,相手の心が離れたのは自分が変わったせいであることに気づくのはむつかしい.

【補足】 鈴木:鈴木敏夫「変わるもの,変わらないもの」.池澤夏樹編『本は,これから』(岩波新書, 2010), pp.112--118 所収. 引用はp.113から.

出先(^^;)からの投稿です.

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