はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつもこころで なむあみだぶつ
はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつもぶつぶつ なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』pp.166--167)
腹が立ち,愚痴がでるときには,お念仏が一緒に出てくる.それは,仏様が,そんな私のためにお念仏を称えてくださっているから.だから,腹が立ってブツブツ言いたいときは,お念仏を称えよう.ほら,仏様も,一緒に称えてくださっている.なむあみだぶつ,なむあみだぶつ,ぶつ,ぶつ,ぶつ・・・
才市さんは,近くのお寺で法座があると,近所に触れて回った後,つんのめるようにして小走りにお寺に急いだそうです.お参りが嬉しくてしかたがなかったという話として聞かせてもらっていました.
でも,小走りにお寺に向かうのは,法座を触れてまわることと同じことだったのですね,人をお寺に誘うという点で.釈破さんのコメントを読んでそのことに気がつきました.
翻って,楽しくて仕方がないという法座になっているかと問われると・・・.
小走りの才市さんの姿が 思い浮かびます。
私も何年か前には 友人に組内の寺院の報恩講の日程を触れ歩いて
いたことがありました。仕事をしていてもウキウキしていましたね。
仏法を楽しむ必須アイテムは 法友の存在でしょうか。一人より二人の方が何倍も楽しいですからね。法座をされる方の努力も必要ですが、聞く方の努力も欠かせません。蓮如さんの言われるように聞いた後に話し合う
ことで深まる(正さる)ので、是非したいところですが、聞きっぱなしがおおいです。その点ブログに書いて再確認させていただき、有り難い!!
ブログの方,拝見しました.才市さんのこの口あい,あそこでお書きになっていたような利用法(^-^)があったのですね.
私もなかなか話し合う機会がありません.ここに書いて,コメントを頂けるというのは,文字通り,有り難いことです.
ぶつぶつ言うなら「なむあみだぶつ」素晴らしい一言ですね。
考えさせられました。
こんにちは
この詩を我がブログに拝借いたしました。
念仏申せ との相続が難しい時代になってきましたね。
先月の同朋新聞に ある人が 友人に 「お前もそろそろ寺に参って
聴聞しろよ!」と誘ったところ、ゲ-トボ-ルが趣味の誘われたひとは
「お前も、そんなとこばかり行かず、青空の下で汗を流せ!!」と口論に
なってしまったと、書いて有りました。どちらも一理ありますが、仏法に
誘うには 口で言うだけでなく、いそいそとニコニコして寺に通う姿を
みせつけるのに限ります、楽しいところに人は引き寄せられますからね。