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[才市] 屈みもせずに花の梢を
旧ブログ 2016年3月20日 (日)

私ゃ仕合せ 私ゃ仕合せ
手もとう《届く》し
かご《屈》みもせずに 花のこずゑを
ご恩うれしや なむあみだぶつ
・・・
(才市さん,sd-03:084)

 「聞いてみなんせ まことの道を 無理な教えじゃないわいな」という歌が六連島のおかるさんにあるそうですが,才市さんのこの口あいも,同じことを花の梢にたとえて歌ったものです.
 “手が届かない高い梢”から,突飛ですが,サッポーの次の詩を思い出しました.

さながらに 紅《あけ》の林檎の,
 色づいて みづ枝に高く,
いと高い 梢に高く.
 摘む人の はて見おとしか,
いや見落とせばこそ,かひなとどかぬ
 その紅りんご.
(サッポォ, 呉茂一 訳, p.190--191)

美しいのに婚期が遅れたサッポーの弟子が結婚することになり,それを祝って贈った詩だそうです.

 サッポーにはこんな詩もあります.

夕星《ゆうずつ》は,
かがやく朝が(八方に)散らしたものを
みな(もとへ)連れかへす.
羊をかへし,
山羊をかへし,
幼な子をまた,母の手に
連れかへす
(呉茂一 訳, p.189--190)

 童謡の「夕焼け小焼けで・・・」を連想させますね.そして・・・

・・・
十五夜の 銀のひかりが
陸《おか》にあまねく 照りわたるとき
(呉茂一 訳, p.181--182)

 あるいは,また:

月は入り すばるも落ちて,
夜はいま 丑満つの,
時はすぎ うつろひ行くを,
我のみは ひとしりしねむる
(伝 サッポォ, 呉茂一 訳, p.202)

 若い女性が腕を頭の上に回すようにしてものにもたれて(?)眠る絵かレリーフがあったような気がしますが,それが思い浮かび,妙に心惹かれる詩です.

 サッフォー以外では:

テルモピュライなるスパルタ人の墓銘に

行く人よ,
ラケダイモンの国びとに
ゆき伝へてよ,
この里に
御身らが 言《こと》のまにまに
われら死にきと.
(シモーニデース, 呉茂一 訳, p.32)

****

ペルシアの奥地に虜はれて住むエレトリア人を


これはその昔,アイガイアの波の重いとどろきを棄てて,
 エクバタネーの曠野のさなかにねむるわれら.
さらば,世に聞こえたかつての祖国エレトリア,さらばよ,エウボイアの
 隣人たるアテーナイ,なつかしい海よ,さらば.
(プラトオン, 呉茂一 訳, p.51)

どちらもペルシャ戦争関係の墓碑銘です,多分・・・.

 以上,今回は才市さんにことよせて,私の好きなギリシャの詩歌のご紹介しました.

【補足】
 才市さんの口あい(sd-03:084):鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート3の84番(pp.39)の前半です.後半は次回に.なお,用字,改行などを読みやすく改ました.
 おかるさんの歌は:梯實圓『妙好人のことば』法蔵館, 2008, p.59.
 呉茂一訳の詩は次から引用しました.呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選 --- 花冠』, 岩波文庫, 1991.

 高校の頃,『花冠: 呉茂一訳詩集』というギリシア・ローマ訳詩集の長文書評が新聞に掲載され(評者は,篠田一士氏だったような気がします),それに上のシモーニデースとプラトオン(あの対話篇のプラトンだそうです)が引用されているのを読みました.高校生には高価過ぎる本だったので,学校の図書館に入れてもらいました.自分で買えるくらいの年齢になった時にはすでに絶版,古本屋にもなく(一度,京都の古本屋にあったけど,1万円を越す値がついていて,手が出なかった),岩波文庫に入ってやっと自分のものにできました.図書館で読んでから,およそ20年ぶり.もっともその間,北嶋美雪氏や沓掛良彦氏の訳本を手に入れ,少しは喝も癒されてはいたのですが.

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