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[才市] いまは あろうがあるまいが
旧ブログ 2010年9月15日 (水)

むかしは ありがたいことたよりにおもい
なんともないこと ちからをおとし
いまは あろうがあるまいが
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.44)

 仏教とキリスト教は,喩えていえば,全く別の木です.根も幹も別々にあります.しかし,どちらも枝を大きく張っているので,上のほうでは枝と枝とが重りあっている.そんなところでは,豊かに茂る木の葉がどちらの木のものか直ちには見分けがつかない・・・キリスト教系の文章を読んでいると,そんな感じがすることがあります.次のC.S.ルイスの手紙の一節は,上掲の才市さんの歌と非常に良く似ていると感じましたがいかがでしょうか.

堅信礼を受けた後,あるいははじめて聖餐にあずかるときに,自分の感じたいと思っているような感情をのこらず感じるだろうと期待してはいけません.[・・・中略・・・] あなたが願うとおりの気持ちになろうとなるまいと,あなたの身に実際に起こっていること,それはまったく本当のことなのです.主は望みたもうなら私たちに,正しい感情を与えてくださるでしょう --- そのときには,私たちはありがとうございますと言います.もしも与えていただけないのなら,自分に,また神様に,神さまが何もかもご存じでいらっしゃいますからというだけです.
(『別世界にて』p.251)

 「主は望みたもうなら私たちに,正しい感情を与えてくださるでしょう」あたりは根っこの違いを感じさせますが,「あなたが願うとおりの気持ちになろうとなるまいと,あなたの身に実際に起こっていること,それはまったく本当のことなのです」は,そのまま才市さんの歌の味わいのような気がします.

【補足】
C. S. ルイス(中村 妙子 訳)『別世界にて』(みずず書房, 1978).因みにこのルイスは,あの『ナルニア国物語』の原作者のルイスです.

コメント

こんにちは
私の尊敬している先生がよく言われるのですが、「真宗とキリスト教は全く別のおしえだけれど、言葉を尽くして教えを伝える点では、よく似ている。反面、浄土宗と浄土真宗はにているようだが、この点では全く違う」
と、毎月私の工場に ものみの塔(エホバの証人)の方が布教に見えます、確かに少しでもいいから時間を下さいと云って、熱心に語っていかれます。同じ言葉を尽くして教えを伝える宗教にかかわりながら、ほとんど伝える努力をしていない自分がお恥ずかしい限りです。見習いたいものです。

 いわゆる“新興宗教”系の方の熱意には圧倒されることがありますね(ものみの塔は,先の戦争中に兵役拒否と天皇崇拝拒否を貫いた点も).
 でも,私から見ると,破旬さんもいろいろな布教活動に参加されているし,何よりもご自身が熱心に聞いておられるのがすばらしいなぁと遠方から拝見させていただいています.

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