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[才市] 蛙姿に よう似ておるよ
旧ブログ 2011年11月 2日 (水)

才市 心をあとから見れば
蛙姿に よお似ておるよ
前の手をつき あおのいて
教化聞けども いつもぶるうと
教化の水の中に おること知らず

ありがたや 教化の水が 今知られ
教化の水の 知られたのは
知識 如来の ご恩のおかげ
ご恩うれしや なむあみだぶつ
(楠 一, p.16)

 蛙は,前の手をつきながらも,グッと反り返るように頭を上げていることがよくありますね.阿弥陀様に手を合わせるような格好をしながらも,自力の心が捨てられない・・・そんなかっての自分の姿を,頭を反り返らせている蛙の姿に喩えた口あいです.南無阿弥陀仏を聞きながらも,プルッとして,自分の力で水を求めようとしている.実は,水の中にもういるのにそれに気づかない・・・.

 蛙といえば,こんな歌を聞いたことがあります.

 「前の手をつき あおのいて」,「教化の水の中に おること知らず」,「教化の水が 今知られ」の句が,この三つの歌に対応しているようにも見えます.才市さんもこの歌を聴聞したのでしょうか?

【補足】
 楠 一, p.16:楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, p.16(一の第1ノート, 43番).
 なお,「あおのいて」は「かをのいて」に「仰向いて」と注が付いているので,両方混ぜて「あおのく」としました.“反り返って上を向く”くらいの意味です(「あおのく」という言い方があったようななかったような・・・?).
 また,「ぶるうと」は“プルっと(平気な顔をしている)”という意味だろうと思われますが,「ぶるう」という言葉に何か引っかかるというか,記憶の端っこを突かれるような気がするので,そのままにしておきます.
 中間の区切り(空白行)は,楠本にはありません.引用者(junk)が入れました.

 蛙の歌は,あるサイトでみたのですが,どこだかメモしてありませんでした.ネットで検索したらこちら(「かえるの聴聞」)にありました.19,20,18願についてもちゃんと説明してありますのでご参照ください.

追記(2011.11.05):蛙の歌3つにつけた説明がいらぬ誤解を招きそうな感じがしましたので,少し改めました.ついでに,それぞれの歌につけた説明の内容は「願」そのものではありません.

コメント

ご無沙汰しております。体調は回復されましたか?
私は体調は崩ささいものの、疲れ果てております、パソコンの電源を入れる気も起きないほどでして、あと一週間はこの状態が続きそうです。
さて、蛙を例えにした三願面白く拝読させていただきました。なるほど!!
関係ありませんが遠野の昔話に「ビッキの上方参り」というのがあります(不確かな記憶によると)・・・上方への旅行を始めたビッキ(蛙の東北呼称)が道路状況の悪い街道をぺたらんぺたらんと歩いて(飛んで)いると
石ころが腹に当たり痛くてたまりません、そこで立ち上がり二足歩行に切り替えると「これは楽ちん」と歩きだししばらくすると、見た風景になり、出発した古里に帰ってしまったということで話は終わります、つまり目の付いている位置のために四足と二足では見える方向が真逆で、前進していると思っていた方向は後退だったというオチでした。蛙というとすぐにこの話が思い出されます。遠野の昔話は 生 で聞くととてもいいですよ。最も東北弁ですのでなじみのない人には外国語のようで全くわからないかもしれませんね。砂の器ではないけど、島根の言葉も東北辺に似た地域もあるようですが、石見ことばではないようです・・・ではまた

こんばんは.破旬さんもお疲れですか・・・.こちらも,体調は何とか持ち直したものの,なんだか,全面的機能低下というか,クテッとしています.今日はヒマだったのですが,何をする気にもならず,大好きなオバケの話を読む気にさえならず,電算機で遊んでみる気にもならず,横になってボォっとしていました.お互い,トシでしょうか.

 「ビッキの上方参り」,初めて聞きました.面白い話をありがとうございます.で,私も一つ思い出しました.子供のころ絵本で読んだ(?)話です.
 山のふもとに住んでいた蛙君,あるとき,山の向こうはどうなっているのだろうと,山越えの旅に出る.ちょうど峠(頂上)に差し掛かったところで,向こうから蛙がやってくるのに出会った.聞けば,山の向こうに住んでいる蛙で,やっぱり反対側の様子を見ようと山越えの旅に出たそうな.じゃあ,ここで立ち上がって,お互いの里を見下ろしてみようということになり,二人で立ち上がったところ・・・眼下には,自分が住んでいる側とまったく同じ景色が広がっている.“なんだ,まったくいっしょだ”,“ほんと,そうだね.わざわざ降りて行くまでもない”と意見が一致し,それぞれ自分の側に帰っていった・・・.
 破旬さんが教えてくださった話と同じで,蛙君,立ち上がって相手の里を見ているつもりが,自分の里を見ていたのですね.山のてっぺんで二匹の蛙が立ち上がり,後ろを見ている絵をかすかに覚えています.
 蛙が立ち上がると後ろを振り返ることになる.これを題材にした話,他にもあるかもしれませんね.

 昔話を生で聞く,で思い出しましたが,何度か話題に出た宮沢賢治,彼の「雨にも負けず」を東北弁で聞くとずいぶん印象が違いますね.最近やっと気づかされました.高校のとき習った「永訣の朝」は非常に印象的で感動しましたが,これも東北弁で聞くと随分違って聞こえるかもしれない・・・.

 学生の頃,島根出身と分かったとたん,ズウズウ弁をしゃべらないのかと問われることがよくありました.その度に,いや,ズウズウ弁に近いのは出雲の方で,島根と言っても,出雲(島根県東部)と石見(西部)は文化が随分違っていて・・・と島根文化論を一くさり.出雲大社・小泉八雲などは出雲です.因みに森鴎外は“石見人”ですね.

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