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[才市] 七高僧さまのご恩
旧ブログ 2015年4月20日 (月)

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代々相承の
[聖徳]太子さま 七高僧さまのご恩
御開山さまのご恩
[...]
相承の善知識さまのご恩は
山とも海とも天とも地とも
深いご恩を
この度は 受けさせてもらいましたのに
[...]
(楠二,  9:34)

 本堂の七高僧の軸,痛みがひどいので補修に出していましたが,少し前に帰ってきまし た.触るとボロボロと崩れる状態で,補修などできるのだろうか思う反面,きれいになりすぎて回りから浮いてしまうこのではないかとも心配したのですが,その辺は上手に補修してくださいました.呼吸しながらだんだん落ち着いてきますとのことでした.少し前には,内陣天井の絵が剥がれ落ちているのを直していただきました.しっかりした技術を持っている方が地元にいらっしゃることは,本当にありがたく,心強い限りです.

 さて,才市さんは,ほぼ毎朝当山にお参りされましたが,たいてい一番早く来られ,最後は一人,遅くまで残っていたそうです."一人で何をしとんさるのだろう" と本堂を覗いてみると・・・

 ・・・その礼拝の仕かたは独特のもので,内陣ぎわまで行って,そこで阿弥陀さまと話をしているような様子で,念仏したり話しかけたりして丁寧にお礼をしていた.それが終わると次は祖師 [御開山=親鸞聖人] 前で同様に礼拝し,今度はというように,各尊前で一々話しかけながら,ゆっくりお礼をしていた.特に七高僧様の前では,お七人の一々に対して別々にお礼をして「ありがとうございます.なんなんだぶ,なんまんだぶ」と丁寧に頭を下げていた.(梅田尚子氏談)

 ある時,故嘉戸大恵師に頼んで,自分のノートの最後のところへ,ご絵像にある七高僧の配列の通りにお名前を書いてもらい,大切にしていたという.(光善寺住職・波北彰真師談)
(『妙好人 才市さんの世界』, p.213)

 下の写真が,多分,そのノートです.これで,一人一人のお名前を確認しながら「龍樹菩薩さま,ありがとうございます.なんまんだぶ,なんまんだぶ.天親菩薩さま・・・」と礼拝していたのでしょう.20150420_7ksai

 この度補修した七高僧の軸は,美術的・骨董的に価値があるものとは思えません.しかし,才市さんが毎朝礼拝し,才市さんのお念仏が染み込んだ軸です.これからも,大切にしたいと思っています.

【補足】
 楠二,  9:34: 楠恭編『妙好人才市の歌 全』の二, 第9ノート34番.
この34番は長い口あいで,pp.243 -- 248 に渡っています.その一部を書き抜きました (pp.246 -- 247).表記などは分かりやすく改めました.
因みに,才市顕彰会が出しているA4判三つ折りのパンフレットに「わしわ せかいのひとの ほをとをにんであります・・・」という口あいが引用されていますが,それも34番の一部(pp.245--246)を抜き出して形を整えたもののようです.
なお,この口あいには問題をはらむ表現あり,改めて触れたいと思っています.

 『妙好人 才市さんの世界』: 『妙好人 才市さんの世界』, 本願寺出版部, 1981.引用はpp.195--230 所収の,藤谷法叡「才市さんの言行録」から.
なお,梅田尚子は梅田謙敬の娘で,後,安楽寺坊守.また,光善寺は近隣(江津市波積)のお寺で,当山の親戚筋.嘉戸大恵《かどだいえい》師も近隣のお寺の方で,いろいろお世話になった方です.

 因みに七高僧のお名前が書かれている頁は,最後の頁ではありませんが,ご覧の通り,口あいを記した最後のところです.右頁に才市さんの手で記されている未完(?)の口あいは:「○ わしのこころの なむあみだぶつ/弥陀に もろをて[もらって]なむあ」(鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート32の28番)ですが,「なむあ」のあと,右の行の「みだぶつ」に続けているようにも見える書き方ですね(つまり,「みだぶつ」を二度読む).そう読めば,一応完成しているとも言えそうな・・・? .

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