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[才市] 晴れた心に安心するは
旧ブログ 2010年9月22日 (水)

はれた心にあんしんするは
じりき うたがい あくむし《悪虫》よ
(『ご恩うれしや』, p.43)

 才市顕彰法要で,次のようなご法話を聞かせていただいたことがあります.

 あるお同行の方,聴聞しても,八割方わかるような気がすけど,でも,なんとなくモヤモヤとしている.このモヤモヤが晴れたら,“よっしゃ分かった,これで大丈夫”とスカッとするのだろうけど,どうもそうならない.このモヤモヤが晴れるまで国へ帰らないと決意を固め,全国の妙好人を訪ねて歩くことにした.最初に,ある女性のお同行のところに行ったのだけど,“私のとこなんか来てもろうてもあきませんで”と言われるばかりで何も教えてくれない.3日間がんばったが何もおっしゃってくださらないので,諦めて次の方のところに行こうと家を出たら,追いかけてこられて・・・.
 にいさん,あんた,この先,確かな覚悟ができるまで国にかえらへんいうてはりましたな.もしもこの先な,確かな覚悟ができたと思うたら,親鸞さまの教えから離れたと思いなされ.今のままで帰ってきたら,それこそ阿弥陀さまのお目当てです・・・.

コメント

もやもやの正体はやはり 煩悩でしょうか?
なくそうとする自力努力が無効と知り、煩悩を抱えて
慙愧して生きるのが門徒の日暮ですね。でもこれは
とても苦しい生き方です。逃げたり、見ないようにして
過ごす方がどれだけ楽かと最近よく考えます。
こんな教えは聞かなければよかったとつくずく思いますが、
一度聞いてしまうと、逃げることはできません、
死ぬまで七転八倒して、阿弥陀さんを道ずれに行き(生き)ましょうか・・
晴れない日々が続きますね

釈破旬様、尊いお心持ちを読ませて頂きました。
逃げたり、見ないようにするのも楽でしょうが、
私が見なくとも、阿弥陀様は常に見ておられ、逃げるものを追ってつかまえてつつんで下さっていますので、こんな楽なことはありません。
今のままを救うとの本願ですから、確かな覚悟は阿弥陀様にまかせましょ。

大きなお世話 とおせっかいの人によく言いますが、
阿弥陀さんのは
おおいなるお世話でした
ね 南無阿弥陀仏

釈破旬さま,YGMさま こんばんは

  摂取心光常照護 已能雖破無明闇
  貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
  譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇

  阿弥陀仏の光明はいつも衆生を
       摂め取ってお護りくださる.
  すでに無明の闇ははれても,
  貪りや怒りの雲や霧は,
       いつもまことの信心の空を覆っている
  しかし,たとえば日光が雲や霧にさえぎられても,
       その下は明るくて闇がないのと同じである.

 雲が厚く垂れ込めた日に,夜みたいに真っ暗だと言って車のライトをつけると,結構,頼りない明るさだったりします.夜はあんなにまばゆいのに.
 雲って暗い日も,闇夜に比べれば,実は明るい.雲霧に覆われていても,実は光は届いている.それを暗いと嘆くのは,太陽の明るさを知っているから・・・.

 「逃げるものを追ってつかまえてつつんで下さっています」で思い出した才市さんの歌がありますので,次回はそれについて書かせていただきます.

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