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[才市] このままとは ちがいます
旧ブログ 2010年3月31日 (水)

ちがうことは いうじゃない
このままとは ちがいます
ことばは よいが
むねに じりきの根がのこる
はやく ご縁にあいなさい
(『ご恩うれしや』 p.21)

 次のような話を聞かれたことのある方も多いのではないでしょうか.

 江戸時代の学僧,一蓮院秀存(いちれんいんしゅうぞん)という方に,あるご門徒が真宗の救いの要をうかがった.秀存師が
「そのままのおたすけぞ」と答えられたので,ご門徒が
「このままのおたすけですか」と申し上げると,
「ちがう。そのままのおたすけぞ」とおっしゃる.再度
「このままのおたすけですね」と尋ねると,
「いや、そのままのおたすけぞ」と答えられた.
その時,ご門徒が「ありがとうございます」と合掌されたのを見て,秀存師はにっこり頷かれた.

 真宗なんだから禅問答はよしてくれ,と言いたくなりますが(禅宗の方,ごめんなさい),才市さんの歌を聞くと,この問答の意味もわかるような気がします.

 あるサイトでは,この問答を次のように味わっておられました.

 「そのままでよい」というのは如来の呼びかけです。「このままでよい」というのは私たちの側のはからいです。如来の本願すら、厚かましい自己肯定・自己正当化の道具にしてしまう根性を私たちは持っています。逆に「このままでいいはずない」というのも、如来の「受け止める力」を疑う私たちのはからいです。
 すでに「そのままでよい」と如来に呼びかけられているわが身に気づき、そこに思いはからいでなく「南無阿弥陀佛」と答えていく。そこから真宗門徒の生活ははじまるのではないでしょうか。

 「このままでいいはずない」と疑うことが「私たちのはからい」であることはわかりやすいのですが,「このままのでいいのですね」と念押しするのも,実は,「私たちの側のはからい」でした.だから,「言葉はよいが胸に自力の根が残る」.
 「そのままでいいよ」,「わ,ありがとう,ごめんね」ですね.

【補足】
 あるサイト:浄土真宗大谷派向陽山光永寺「今月の言葉」(正木慶晴師).秀存師の問答も,ここから拝借しました(改行し,ちょっと端折りました).

 霊山勝海『親鸞聖人ご消息,聖典セミナー』(本願寺,2006)には,香樹院徳龍和上とあるお婆さんの話として,よく似た問答が紹介されています(pp.37--38).徳龍和上は,二度目の返事の際に,「仰せを持ち帰るなよ」と言葉を添えられています.

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