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[才市] わたしゃ下駄職 虫を殺す
旧ブログ 2016年8月19日 (金)

あさましや わたしゃ下駄職 虫ゅ殺す
荒木こんのを(墾納=仕上げ)するときは
生き虫殺す罪作り
わしの罪 世界の虫ほど罪がある
ここでこの罪こらえてもらう
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏
(才市さん,sd-01:018)

 先日,今年最初の鈴虫が鳴きました.この春に孵った鈴虫です.
 昨日は,脱皮の写真が撮れました.抜け殻の中に尻尾を残して,ほぼ脱皮が終わった状態です.ちょっとピンぼけですが,枝にさかさまにつかまっているのが抜け殻で,そこから真下に向かってぶら下がっているのが見えるでしょうか.20160819_2 白いのは縮こまった羽根と足・触角です.セミだとこの後,腹筋運動のような感じで体を起こし,抜け殻につかまって尻尾を抜くところですが,この鈴虫君はそのまま尻尾が抜けて土の上に落下してしまいました.こいつがマヌケだったのか,はたまた,鈴虫の脱皮とはそういうものなのか.
 鈴虫を飼い始めてもう何年になるでしょうか.坊守が実家から貰って来たのが始まりです.毎年,春になると卵から孵り,ひと夏,盛んに鳴いたあと,卵を残して死んでいきます.
 朝顔を咲かせるのも夏の恒例行事になりました.これも,秋に種を取り,翌年播いて,花が咲き,また,種を残して枯れていくというサイクルをもう二十年くらい(?)続けています.もっとも,だんだん,花の色が単調になるので(赤紫ばかりになる),時々,新しい種を買って混ぜていますが.

 こうして,一年限りの命を続けて育てていると,命のはかなさを感じると同時に,なにかホッするところもあります.鈴虫の死骸を見ると,一夏ありがとう,よく頑張ったね,君の残した卵は来春ちゃんと孵すから・・・と声を掛けたくなります.

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 川の流れは絶えないようでも,水は常に入れ替わっている.よどみに浮いている泡も,ずっと変わらないように見えるが,よく見れば次々と消えて,新しい泡が次々と生じているにすぎない・・・.
 しかし,鈴虫や朝顔を見ていると反対の意味のようにも思えてきます.水は流れ去るが,川の流れは絶えない.一つ一つの泡は次々と消えてゆくが,また次々と生まれて,泡はずっと浮いている.一匹の鈴虫の命は一夏で消えるが,その結果は次の世代に受け継がれ,次の結果を生んでゆく・・・.この結果というのは,生物学的に言えば,卵とかDNAなどということになるのでしょうが,もっと広く理解することもできるでしょう.たとえば,ちょっと比喩的な言い方になりますが,鈴虫の声を聞いた飼い主が,来年も卵を孵そうと決意することも,鈴虫が一夏生きた結果と言えるでしょう.
 私の命も,やがては終わります.しかし,私が生きた結果は次に引き継がれてゆく.それで良いではないか.一夏を一心に鳴いて死んで行く鈴虫を見ていると,そんなことが思われます.

 と,ここで終わっておけば,それなりにきれいに終わるのでしょうが,私たちのみ教えは,甘い感傷に浸るのを許してくれないようなところがありまして・・・.
 鈴虫を飼っている水槽の中に,小蠅が発生します.野菜の切り屑や煮干しにたかり,鬱陶しいので,見つけるたびに潰す・・・.同じ昆虫,同じ命なのに,良い声で鳴く鈴虫は大切に世話をし,そうでない小蠅は容赦なく殺すわけです.今さらながら,ですが,矛盾していますね.小蠅からみれば,私は鬼でしょう.
 才市さんも,下駄作りのとき,材料の木材についている虫を殺したのでしょう.下駄作りに伴う当然の仕事ですが,考えてみれば罪深い・・・.

【補足】
才市さん,sd-01:018: 鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート1の18番(pp.4--5).用字,改行などを読みやすく改ました.

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