極楽は見たことないに
ここで知られる
なむあみだぶつ
(才市さん, az-02:037)
「アポロ計画陰謀論」というのをお聞きになったことはありませんか.アポロが月に行ったというのはウソで,写真や映像はどこかの砂漠で撮ったトリックだ,という説です.バカバカしい話と片づけたいところですが,もう一つ,別の「アポロ計画陰謀論」というのがあるそうです.これによると,アポロ計画の途中で宇宙飛行士たちは宇宙人に出会っているが,NASAはそれを隠している,のだそうです.隠匿しきれなかった証拠写真というのもあります.これもバカバカしい,そんな写真,トリックに決まっている・・・.でも,アポロが月に行ったという写真は本物で,宇宙人に会ったという写真は偽物ですか? 一方の証拠は本物,他方は偽物という根拠は何でしょうか?
庄松さんにこんな話があります.
[ある人が,]地獄や極楽がありとはいえど,眼には見えぬゆえ疑いがはれぬと云えば,庄松,「この向こうの山の南に阿波という国があるぞ」と云われた.(『庄松ありのままの記 続編』の16)
この話はいろいろに味わえると思いますが,私たちはなぜ疑い,なぜ疑わないのかという問題を突き付けられたように思いました.見たことがないから疑いが晴れぬと言うが,そう言うお前は,見たこともない阿波の国を疑っていないではないか・・・.
確かに,一度も見たことがないのに,あると信じているものはたくさんあります.いや,「信じている」というより,当然のこと,事実だと思って疑わない.私たちが日頃,事実だと思っていることの大半は,よくよく考えてみれば,阿波の国と同じで,見たこともなければ,確固たる証拠もない(証拠を自分で確認していない)ことではないでしょうか.
逆に,いくら「証拠」を見せられても信じがたいことがあります.私の場合で言えば,占いや「パワー・スポット」の類.「当たった」,「効果があった」という「証拠」は,インターネット上にあふれていますが,でも,信じられません.
どうも,私たちが日常生活で,何を事実として受け入れ,何を疑うかは,単に,見たことがあるかないか,「証拠」があるかないか,という問題ではなさそうです.合理的に考えた結果かどうかも怪しい.疑うか,疑わないか.その背後には,自覚されない複雑な事情や理由があって,「疑いがはれぬ」理由も,実は,「眼には見えぬゆえ」とは別の理由がありそうです.
ですから逆に,才市さんや庄松さんにとっては,目には見えなくても阿波の国があるのと同様,見たことないに極楽があるのは疑い得ない事実だったわけです.
【補足】
才市さん, az-02:037: 朝枝善照「新出『才市同行ノート』の紹介(その2)」(浅原善照『妙好人伝基礎研究 続』, 永田文昌堂, 1998, pp.482--515 所収)の37番(p.491).いつも通り,引用に際して用字を改めました
『庄松ありのままの記 続編』の16: テキストはこちらからお借りしました.(このサイトは何度か引用させていただきましたが,以前のところから引っ越したようです)
「アポロ陰謀説」は『Wikipedia』など,インターネットで検索を掛けるといくらでも出てきますのでそちらを参照してください.なお,アポロが月へ行ったという証拠は本物で,宇宙人に出会ったという証拠がウソであることは,詳しい検証が行われていますので,真偽を論じる余地はありません.ここで問題にしたのは,そのような詳しい検証なしに,一方はホント,他方はウソと思っているのはなぜだろうか,ということです.
小学生の頃でしたか,遺伝の法則を本で読んで,血液型(ABO式)がどのように遺伝するか,表を作れるようになりました.そこで,さっそく両親に血液型を聞いて,生まれる可能性のある血液型を表にしてみると・・・私の血液型の子供は絶対に生れない!という結論になりました.ちょうど,思春期に差し掛かる年頃です.自分は本当の子供ではなかったのか,とアイデンティティの危機に見舞われ・・・なかったのですね,これが.どういうわけか,親子関係についてはまったく疑わず,両親の言う血液型が違っているか,私の遺伝法則の理解が間違っているか,どちらかだろう,などと思っていました.
その後,かなり後になって,健康診断に行った母親が,「血液型が違っていた」と言いながら帰ってきました.そこで,正しい血液型で改めて表を作ってみると,50%から100%の確率で私の血液型の子が生まれるという結果になりました.メデタシ,メデタシ.その時,ちょっとホッとしたのを覚えています.でも,ホッとしたのは,親子関係が確認できたからではなく,私の,遺伝法則の理解が間違っていなかったから,でした.
科学的な「証拠」を突き付けられても,それを否定し,データか理論が違っているのだろうと思っていたわけです.なぜでしょう?