よろこびは あなたので
わたしゃ あなたの もらいよろこび
ごおんうれしや なむあみだぶつ
(才市さん,『ご恩』, p.128)
先日終ったオリンピックの女子5000メートル走で,転倒したダゴスティノ選手が,一緒に転んだ選手を置き去りにせず,助け起こして,「立って,走って,完走しなきゃ」と励ましたという話がありました.ゴール後,「助けたのは本能.私が助けたというより私の中の神様が助けた感じ」と言ったそうです.
才市さんの口あいの裏には,私たちは喜ぶべきことを素直に喜べないくらいヒネクレているという思いがあります.「よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為なり」(『歎異鈔』).だから,たとえばお念仏を喜ぶことができたとしても,そういう心は私の本性ではない,仏様からいただいた心である,というのがこの口あいの意味でしょう.
「私の中の神様が助けた」と「あなたのもらいよろこび」.この二つ,発想が同じ,という言い方はちょっとそぐわないかもしれませんが,精神の動き方が似ているように思いました.
【補足】
才市さん,『ご恩』:石見の才市顕彰会編『ご恩うれしや』.
ダゴスティノ選手の話は,『朝日新聞』2016.8.21付け「天声人語」で読みました.ネット上にもいろいろ記事があるようです.