酔うた酔うた
なむあみだぶの 酒に酔うたよ
才市よい われも酔うたか わしも酔うたよ
如来さんよい これから浄土に いにましょうや(帰りましょうよ)
(才市さん.sd-05:064)
才市さんにかかると,阿弥陀様も,サイコロ博打に手を出したり,盗人になったり(前回),かと思うと超年齢差恋愛の小娘になったりとなかなか大変です.今回は酔っ払っていらっしゃる.以前,「南無の肴に阿弥陀の酒を」という口あいをご紹介しましたが,阿弥陀様,才市さんと,花見の酒でも飲まれた帰りでしょうか(笑).
阿弥陀さまはともかく,才市さん自身は確かに,南無阿弥陀仏の酒に酔ったように見えることもあったようで,梅田謙敬が藤秀スイ師に宛てた手紙の中に次のような一節があるそうです.
[才市さんは]毎朝の寺参りを欠きし事なく,事故ありて朝の勤行時に参り得ざれば,朝食後に参詣,長々と五尊前に礼拝,仏と談話するが如く法悦に耽り,寺の障子外に出て帰るを見れば,御慈悲の酒に酔ひツブレて帰るものの如きは,予が毎度実見せる処なりき
(梅田謙敬.藤, p.250に引用)
因みに,この謙敬の手紙を引用したあと,秀スイ師は,「徳川時代の或る妙好人」の歌として「子供の時分に父から聞いた」次の二首を引用されています.
結納の酒のすんだる一つ身を よめとやいはんむすめとやいわん
信心の酒のすんだる一つ身を 仏とやいはん衆生とはいはん
(藤, p.251)
というわけで,酒の比喩はそれほど突飛でもないようですが,しかし,阿弥陀さままで酔っぱらうというのは・・・.
【補足】
sd-05:064: 鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート5の64番(pp.70-71).
藤:藤秀スイ『大乗相応の地』(京都, 1943).スイは「王」偏に「翠」.この本に謙敬の手紙が引用されていることはある方から教えていただきました.感謝.
余談ですが,「酒のすんだる」の二首は,『古今集』の
年のうちに年は来にけり一とせを去年《こぞ》とやいわん今年とやいはん
(在原元方)
を下敷きにしたもので,「和歌としての調子は低い」とのことです(藤, pp.250--251).でも,詩歌文芸を解さない私には,元歌よりこの二首の方が面白い.困ったものです.
酒飲みの私には うんうんと頷けるうたですね。
毎月御命日の28日に寺の垣根をこえて輪読会を開催していますが、
終了後は必ず?酒宴となります、仏法を肴に酒を飲む会 となり
真面目に仏法を肴にしております。 反面歎異抄にも酔いを切り口に
厳しい言葉を投げかけていただいていますので、飲みながら反省もしております。
情報提供ですが 大谷派の同朋新聞が 今月から無料でネットで読めるようになりました。本願寺新報とは違い、月一回発行でお寺を通じてご門徒さんには無料で配られているので、もっと早くすればと思いますが、門徒でない方も読めますので、よろしかったらどうぞ!
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と検索して頂ければ、登録無料で会員登録ができ、登録すると読めるようになると書いてありました。私は紙の物が届きますのでやってませんがね!