才市がこころに ぬしと《ぬすっと=盗人》が 入った
才市がこころを 取りに来た
あむあみだぶつに 積んでいぬるよ《去ぬるよ=帰るよ》
(才市さん,az-02:163)
十八才の小娘になって才市さんに超年齢差恋愛をした阿弥陀さま,今回は才市さんの心を盗む側に回ってます・・・と言ってはみたものの,この盗人,恋人の心を盗むというより,家財道具を荷車に乗せて盗んでいく本物の盗人という感じです・・・.
冗談はともかく,阿弥陀さまは私たち凡夫のところまで降りてきていっしょにいてくださいますが,いうまでもなく,私たちの段階にとどまり続けるのではなく,お浄土へと私たちを導いてくださいます.そのことをこのくちあいでは,"私の心をなむあみだぶつに積んで帰る"と歌っています.
しかも,私が寝るまで(死ぬまで)じっと息をひそめて待っているのではなく,すぐに心を盗みに掛かることになりますが,しかし,言うに事欠いて(?),盗人とは.庄松さんの奔放さにはホトホト感心しますが,言葉による表現では才市さんもいい勝負.当人たちは楽しくてたまらないのでしょうね.
【補足】
az-02:163:朝枝善照「新出『才市同行ノート』の紹介(その2)」(浅原善照『妙好人伝基礎研究 続』, 永田文昌堂, 1998, pp.482--515 所収), p.509.いつも通り,引用に際して用字を改めました.なお,この歌の出典については,近隣のZ寺ご住職のご教示をいただきました.ありがとうございました.
阿弥陀様が18歳の小娘になった話はこちら.
阿弥陀さまを鼠小僧次郎吉に喩えたご法話があるようです(松澤祐然『以名摂物録』).才市さんもそんなご法話を聞いたのでしょうか? 他にも,阿弥陀さまを泥棒に喩える話があるのでしょうか.
祐然師の法話には、“鼠小僧は家に忍び込むのに鼠に化けて,小さな穴から自在に忍び込んだ,阿弥陀さまも,そのままでは大きすぎて入れないけど,六字に化けて自在に忍び込む”という喩えもあって、これなどは,「 五十二段の親さまが私に降りて」(才市)を思い出させます.