有漏の穢身は変わらねど
自力が他力にしてもろて(貰って)
浄土で遊ぶ 南無阿弥陀仏
(才市さん, sd-26:052, p.378)
才市さんは,ご和讃の替え歌のような口あいとときどき作っていますが,この口あいも,次のご和讃を聞いてできたものなのは,ほぼ間違いないでしょう.
超世の悲願ききしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかはらねど
こころは淨土にあそぶなり
(親鸞聖人,帖外和讃)
そうだとすると,前回ご紹介した次の口あいもそうではないか思われますが,いかがでしょうか?
さいちゃ
りん終すんで 葬式すんで
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて
なむあみだぶと うきよにをるよ
(才市さん, 『ご恩うれしや』, p.204)
【補足】
親鸞聖人,帖外和讃:柏原祐義 編輯, 『真宗聖典』(法蔵館, 1974), p.263. なお,『帖外和讃』は,西本願寺の『浄土真宗聖典 注釈版』には,収録が見合わされています.一方,このご和讃を曽我量深師が,「心は浄土に住み遊ぶ」と,少し違う形ではありますが引用されているのを読んだことがあります.これ以上のことは,ゆゆしき学者にお尋ねになってください(^^;).
才市さん, sd-26:052, p.378:鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, ノート26の52番(p.378).
才市さん, 『ご恩うれしや』 p.204:石見の才市顕彰会編『ご恩うれしや』, p.204.
ご和讃の替え歌の例はこちらを.
破旬様.先日はありがとうございました.お久しぶりでした.ここでお話しするのも久しぶりですね.
ずっと昔,「お浄土はカラッポ」というお話を近くのお寺のご住職様(??)から聞かせていただいたことがあります.往相即還相で皆出払っているから,という話です.才市さんが本堂で須弥壇に向かって「お留守ですか」と話掛けたというのもそういうことですね.
大蛇の蛇腹の和紙,そういう見立てができたのですね.気付きませんでした.私も買わなきゃ・・・.
お土産,たくさんありがとうございました.おいしくいただいています.
先日は突然お邪魔したにもかかわらず、楽しいひと時をありがとうございました。温泉津の駅を降りるとなぜかふるさとに帰ってきたような気がします。なにより駅前に 生活バス が待っていてくれてビックリしました。一緒に降りた女性に 西楽寺さんにお参りすると言ったら「この人西楽寺さんで降ろしてあげて」と運転手さんに指示してくれました。
のどぐろの話を坊守さんにしてしまったので、わざわざ探していただいたんですね、ありがとうございました。今月末に娘がアルバイトに来ますので、もって返します。
みやこ《浄土》に こころ すませてもろて と詠って見えますが、往相即還相ですので、のんびりお浄土に居られないことになります。以前このことである人に浄土真宗は忙しい宗教だといったら、叱られたことがあります。実際はどうか分かりませんが、生きているうちに法義相続などできそうにありませんので、死んでからその仕事をしに舞い戻らざるをえないと思います私は!
帖外和讃、読んだことがありませんので一度、手次の住職に借りて読んでみます。
そうそう、先日浜田の駅の売店で 岩見神楽の大蛇の蛇腹の部分の和紙をリサイクルしたブックカバーを売っていたので、勤行本サイズを購入して被せました。蛇蠍のごとしですので、今度はサソリのグッズを探します。