お六字は しゃばではぼんぶ
みらいは ほとけ なむあみだぶつ
きほをひとつのあじわい
(『ざんぎとかんぎ』, p.106)
この口あいでは,才市さんは「機法一体」を「機法ひとつ」と言っています.
「お六字は しゃばではぼんぶ」とは,ちょっと変わった言い方ですが,前回の「私に降りて わしになり」と同じことですね.
以前ご紹介したご法話(『ざんぎとかんぎ』巻頭法話)のなかに,
ぼんぶがほとけになることは
ほとけがぼんぶになって
ぼんぶをほとけにすること
なむあみだぶつ
(『ざんぎとかんぎ』p.106)
という口あいが引用されていましたが,この「ほとけがぼんぶになって」も同じことです.このご法話では,「法蔵とはどこに修行の場所あるか,みんな私の胸のうち」(栃平ふじさん)という言葉も紹介されていました.阿弥陀さまは遠くからこちらに来いと呼びかけているのではなく,私のところまで下りてきて,いま,私の内側から働きかけてくださっているのでした.