わしの こころ
久遠もいまも かわりゃない
かわったものは なむあみだぶつ
わしにさとりを ひらかすおじひ
(『ご恩うれしや』, pp.90--91)
才市顕彰法要で次のようなお話を聞かせていただいたことがあります.随分前のことですので,記憶によって要約しました.
私たちは,信心を得たら,変わるのか,変わらないのか.
私たちの煩悩は,臨終までなくならない.そういう意味では,私のありようはまったく変わらない.しかし,たった一つ,変わるといえば変わることがある.
私の中に,仏になるために役に立つようなものは何もなかった.あるのは,ただ,南無阿弥陀仏の働きだった.南無阿弥陀仏の働きがあるから,私の持っているものは何もいらなかったと知らされる・・・.これが,変わるといえば変わること.
今の私の心ではだめだけど,いつか私の心が信心を得た心に変わったときは,大丈夫と言えるだろう・・・これは,自分の心に,何か当てになるものがあると思っている.しかし,そんな当てになるものは,私の中にはこれっぽちもなかった.ただ,南無阿弥陀仏の働きだけが私のところに通っていた・・・.