経を読めども 経を知らず
経に読まれて 経を知る
経は
経に心を才市が取られ
経は なむあみだぶつ
経の心を知らせてもらい
経の心は なむあみだぶつ
(鈴木, pp.41--42)
前回との係わりで言えば,素直に頷きながら聞くことが「経に読まれて 経を知る」ということでしょう.とは,いうものの,これは難しいことですね.素直に頷いているつもりが,とんでもない誤解をしていたり.いったい,どうすればよいのか・・・.ちょっとこの話は次回以降に回して,口あいの後半に行きます(^^;).
「経の心は なむあみだぶつ」で庄松さんの逸話を思い出しました.ある人が庄松さんに向かって:
「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここの御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。
この,問題をくるっとひっくり返してみせる感じが好きです(好きとか嫌いとかの問題ではないのでしょうけど).
【補足】
鈴木, pp.41--42:鈴木大拙編 『妙好人浅原才市集』, pp.41--42(ノート3の107).
庄松さんの話:こちらから.庄松さんではいつもお世話になっているところです.この条の全文は以下の通り.
十 「庄松を助くると書いてある」
上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやましく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここの御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。
(庄松ありのままの記 続編)
庄松さんがお経を熱心に読んでいると思ったら上下逆さに見ていた.そこで,“なんて書いてあるの?”とからかったら,“庄松助くる,と書いてある”と答えた,という話を聞いたことがあります.こっちの方がのんびりしていますね.