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天親菩薩の話,あるいは,刺繍の半回転
旧ブログ 2011年9月17日 (土)

 天親(世親)菩薩は,最初,部派仏教(小乗仏教)の学僧として博学多門,並ぶものなしと言われていたそうです.それが,大乗仏教に転じられたことについては,次のような話が伝わっています.

プルシャプラにいた無著は,・・・[弟の]世親が,大乗は仏教ではない,と誹謗しているのを知って,今重病であるからすぐ来るように,と伝えた.あわてて駆けつけてきた弟に,兄の無著は,大乗を非難ばかりしている.その罪業によって必ずお前は悪道に墜ちるであろう.それが心配で私は重病になったのだ,と言ったのである.そういい聞かされて,また兄から大乗仏教の解説を聞いてその真意を悟った世親は,大乗を誹謗したことを後悔した.その償いに舌を切ろうとしたという.しかし,兄から,その舌をもって今度は大乗を解説して,罪を償うべきであろう,と諭された.これが大乗に転向する機縁になったという.

 この逸話は,お聞きになられた方も多いと思います.この話のなかでもっとも印象的なのは,世親菩薩の後悔ではないでしょうか.「博学多門,並ぶものなし」と称せられたほどのお方です.大乗仏教を批判するときも,当然,大乗仏教の文献にも目を通され,その内容には精通しておられたはずです.兄から大乗仏教の解説を聞いたといっても,おそらく,初めて聞いた,ということはほとんどなかったのではないでしょうか.しかし,その内容を誤解していた.批判しようという意図をもって読んだため,その真意を理解することができず,いたずらに,欠陥(と見えるもの)ばかりが目に付いた.それが,兄の言葉に素直に耳を傾けることによって初めてその真意が理解できた・・・そういうことだったのではないだろうかと想像しています.

 “回心とは,裏から見ていた刺繍(多分,西洋の壁掛け布にある大きな刺繍)をひっくり返して表から見るようなもの”という言葉を聞いたことがあります(アウグスティヌス?).雑然とした糸のもつれと見えていたものが,実は美しい絵であったことに気づく.しかも,その絵柄は裏からでも確かに見えていたものであった.そう気づいたときの驚き,まさに舌を抜きたくなるような衝撃だったろうと思います.

 菩薩さまと呼ばれる方にしてそうならば,私が自分の思い込みをもってお聖教を読むとき,どんな誤解をしているものやら・・・.考えるだけで空恐ろしくなります.

【補足】
 天親菩薩の逸話は:勧学寮編『釈尊の教えとその展開 --- インド篇 --- 』(本願寺出版, 2008), pp.166--167.
 なお,天親菩薩が大乗へ転じられた経緯について,上の引用以外の部分は私の単なる憶測・空想です.

 またまた腰痛が出て,キィボードを打つのがつらいので,少し前に書いたものをupします.草稿段階ですが,直す元気がない(--;).

コメント

ハンドルネ-ムを変更いたします。現在進行中の組の「心の元気塾」の
講師に 法名を変えたいと言ったところ、破旬を坊号として使い、法名はそのままに とアドバイスされました。そういえば親鸞聖人も亡くなるまで
善信を使って見えました。法然上人もご自分のことを 源空 と名乗られて
いましたね。これで行きます。
ほんとに同じ場所で同じ方の法話を聞いていても、あとで話し合ってみると全く受け取り方が違ったり、感ずる場所が全然違って居たりします。
話し合いをして、お互いに点検しあうことの大切さを感じますね。ましてや
疑いや思いこみをあらかじめ持って見聞きすればなおさらです。

破旬さん,こんばんは.
ハンドルネームを変更されたとのことですが,坊号の方で今までどおり呼ばせていただいてかまいませんか?

台風の状況はいかがでしょう.ずいぶんひどいことになっているようですが・・・.

「話し合いをして、お互いに点検しあうことの大切さ」については,お題を振っていただいた感じですので次次回くらいに.多分,あの話をするつもりだなって見抜かれそうですけど.

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