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「無縁の慈」または無縁墓のこと
旧ブログ 2011年8月27日 (土)

 お墓の話に戻りますが,当山本堂裏手の墓地に,当山の住職・家族の墓と並んで「無縁墓」が一基あります.
 「無縁墓」と言うと,「墓の承継者の消滅などによって無縁化[した]・・・無縁仏のみを集めた無縁墓地」(Wikipedia)と受け取られそうです.しかし,当山の「無縁墓」は,これとは少し違い,お骨を納める墓がない,あるいは,墓を建てても遠からず面倒を見ることができなくなるなどという方からお預かりしたお骨を納めるお墓です.実際,このお墓に納まっている方の親類・縁者の方が一人地元にいらっしゃって,現在はその方が,掃除をしたり花を立てたりしてくださっています.
 結果的には「無縁墓地」になる可能性が高いお墓ですが,それでも,このお墓を「無縁墓」と呼ぶのにはちょっと抵抗がありました.「無縁」というと,孤独・さみしい・寄る辺ない・・・.“それじゃ,うちの無縁墓に納骨しましょう”なんて言われたら,やっぱり悲しいのではないかと.

 でも,「無縁」って否定的な意味ばかりではないのですね.法事などで拝読する観無量寿経に教えられました.

「仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す」
(仏心者,大慈悲是.以無縁慈,摂諸衆生)

この「無縁の慈」とは,一切平等に無条件で見返りなしに救うという慈悲です.

 「無縁墓」というときには,この,仏教本来の意味での「無縁」が意識されているのだろうと思います.お墓というと,故人との関係がどうのこうので,入れるだ,入れないだ,という騒ぎになることがありますが,そういったことからも離れたお墓・・・.

 「無縁社会」という言葉によって,「無縁」の負の意味合いがますます強くなった感がありますが,本来は肯定的な意味であることを忘れないようにしたいと思います.

【補足】
 Wikipedia:「無縁仏」の項から抜粋.
 観無量寿経:『真宗聖典 注釈版』, p.102.

 「無縁社会」は深刻な問題ですが,これに対し,これからは“日本全体一家族”でなくちゃいかん,と言った政治家がいらっしゃいます(正確な言い方は忘れました).そのうち,“日本人は皆兄弟,一人残らず天皇の赤子”なんて言い出す人が出てくるのではないかと(当然,“日本人”でなければ“アカの他人”になりますね).
 この夏,去年に引き続いて龍谷大学で聴講する機会がありましたが,そこである先生が,“近代化・合理主義”の弊害がひどくなったからといって,前近代・非合理主義に戻ればいいというものでもなかろう”とおっしゃっていました.

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