信のないひと わしゃおそろしや
ざんぎの水が ないからよ
信のあるひと わしゃこいし
ざんぎの水が あるからよ
(『ご恩うれしや』, p.9)
パドマ展の続きのはずですが,この土曜日にびっくりしたことがあったので,ちょっと,それについて.
月一回の土曜学校,今月は,先に才市顕彰法要があり,パドマ展のこともあったので,才市さんの話をしました.
実は,5年生の子は才市さんについてよく知っています.というのも,昨年,地元の小学校の調べ学習(?)で才市さんを取り上げてくださったからです.学習発表会では才市さんの劇を上演し,また,才市さんについて俳句を作ってくれました.そこで,顕彰法要やパドマ展のことを簡単に話した後,いくつか質問してみました.
--- 才市さんって何時頃の人?
弥生時代!(^^;これは,言ってみただけ,ですね),昭和!,1850年生まれ! (おお,生年を正確に覚えている子がいる).
--- どんな人
角の生えた絵がある! (やっぱりこれが一番印象的でしょうね).
--- どうして角が生えているの,本当に生えていたの?
本当にあったんじゃなくて,悪い心を表わしている.
ま,この辺までは答が出るだろうと思っていました.さて,いよいよ本日のメイン・クエスチョン.
--- 角が生えているから怖い顔している?
違う!
--- どうして? 角が生えていたら怖い顔しているはずでしょ?
・・・
さすがにちょっと難しいですね.今まで元気よく答えてくれていた子もエ~~?というような顔をして,お互いに顔を見合わせたりしている.と,そのとき,一人の男の子が,
角が生えているのを知ってるから・・・
いや,驚きました.小学生畏るべし.
そういえば,以前,本願寺作成の『親鸞聖人』のヴィデオを見せたときも同じようなことを感じたことがあります.このヴィデオ,絵は子供向きのように見えますが,内容は結構難しい.それに長いので,2回に分けて見せました.2回目を見るとき,前回(一ヶ月前)の確認をしようとしたのですが,どこまで見たかはもちろん内容もきちんと覚えていました.
さて,冒頭に掲げた口あいは,今回の内容にピッタリとはいえないかもしれませんが,同じようなことを歌っていますね.“自分の真の姿を知らない人は恐ろしい,仏によって自分の姿を知らされ慚愧する人こそ恋しい”という意味です.仏の光に照らされて真の姿を知らされ,仏の前で慚愧する人は,仏の光に包まれて,怖い顔はしていないはずです.
「阿弥陀様は至極単純な仏さま 照らすだけ」.いい言葉ですね.こういう言い方にコロっと参ってしまいます.こういう癖は,ちょっと危ないともいえるのですが.
「阿弥陀様は至極単純な仏さま 照らすだけ」
と大峯顕師は書かれていましたが、その光に照らされ
見えるのは自分の顔や心ですので、どんな鬼のようなものを
見ても怖いとは思わないでしょう。仏法を聞いた人なら
「やっぱし」と思うでしょうし、ざんきの水で心の渇きを癒す
でしょう。
毎月土曜学校を開催されているとのこと、本堂の写真でも
見させていただきましたが、子供の減少で温泉津に小学校
が無くなったと聞きました。そんな中で継続されていることに
敬意と羨望です。
地元の別院の教化センタ-のスタッフをしていますが、
崇教区内の寺で 子ども会(土日曜学校)とお勤めの
練習をしているところの調査中ですが、子供会については
全滅の結果が出そうな雰囲気です。本派さんのキッズサンガ
に学ばねばと真剣に考えているところです。