わたしゃ こまったことがある
どこをむいても むきぱがないよ
あしをぬべて《投げ出して》 すまんことであります
『ご恩うれしや』 p.60
どこにいても,どちらを向いても阿弥陀様だから,仏様に向かって足を向けるしかない・・・.才市さんは真面目ですからちょっと困っていますが,もっと,過激な(?)方もいらして:
ある日、庄松さんが富田村の菊蔵さんとふたり連れだって三本松の勝覚寺さんにお詣りをした。すると庄松さんは本堂にあがるなり、「ああ疲れた疲れた」といって、仏様にお礼もせずに、畳の上に寝ころんだ。それを見た菊蔵さんが「これこれ庄松さん、何ということかいな御仏前に寝ころんで、ご無礼なことを・・・」ととがめると、庄松さんはにこにこして「何をいう親の家じゃ、遠慮にはおよばん」.
もっとも,才市さんにもこんな歌があります.
よるのねざめの ねんぶつは
まあ ま 足どもぬべて
たの《楽》しもよ
ごおんうれしや なむあみだぶつ
『ご恩うれしや』p.137
布団に入っているので,まあ,足を伸ばしたままお念仏させてもらいましょう,ということでしょう.
内容や表現方法はさまざまですが,でも,根っこは同じ.阿弥陀様に摂取されていること疑いなし,です.
【補足】 庄松さんの話は,「庄松ありのままの記1」 から拝借しました(真宗興正派善楽寺様サイト内).