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[才市] ええな 世界 虚空がみなほとけ
旧ブログ 2018年11月11日 (日)

ええな 
世界 虚空がみなほとけ 
わしもそのなか 
なむあみだぶつ
(才市,楠一, 06:030)

 「ザルツブルグの小枝」という有名な比喩があります.ずいぶん昔に聞いて,その時は,小学校の頃作った,ミョウバンの結晶を思い出したりしていました.「ザルツブルグの小枝」の方は「ザルツ」つまり岩塩の結晶ですね.

ザルツブルグの塩坑で,寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる.2,3か月もして取り出してみると,それは輝かしい結晶で覆われている.いちばん小さな枝,せいぜい山雀《やまがら》の足くらいの枝までが,まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ.もとの小枝はもう認められない./私が結晶作用と呼ぶものは,目に触れ耳に触れる一切のものから,愛する相手が新しい美点をもつことを発見する心の働きである
(スタンダール, p.32)

 最近,この「結晶作用」の比喩を思い出し,人によって受け取り方が違うだろうなと思いました.これは要するに「あばたもエクボ」と同じことを言っているわけですが,「あばたさえエクボに見せる心の働きはすばらしい」と受け取るか,あるいは,「エクボと見えているものは実はあばたに過ぎない」と冷笑するか・・・.ネットで検索してみると,やはり,両方の立場から言及されているようです.

 スタンダール自身は肯定的ですし(ですよね?),当の本人にとっても,現にエクボに見えているのだから,「実は,それは・・・」なんて話は余計なお世話,というところでしょう.でも,そうは言っても,そのエクボは迷妄・錯覚だと言われたら楽しくないかもしれない.「あなた,私の幻を愛したの」なんて歌詞もありました.・・・そんなことを考えているうちに,もう一つ,昔読んだラッセルの言葉を思い出しました.

恋愛はそれ自体が喜びであるだけでなく,音楽とか山頂の日の出とか満月下の大海というようなもっともよき快楽をよりいっそう大きくすることによっても喜びをもたらす.
(ラッセル)

これも結晶作用と言えるかもしれません.恋する相手を越えて,世界に向けられた結晶作用.恋した時,世界が美しく見えるのも錯覚・迷妄なのでしょうか.夜の海の,対岸にまたたく灯りが美しく見えるのも錯覚なのでしょうか.

君が親友と散歩に出かけたあの夜,君は何ともならない魔力につい引きずられて,その夜,君の脳裏を占めていたあの事柄を,実は,そのことだけは友にも秘密にしておきたかったあのことを話し始める.友なる人の思い遣やり深く礼を失しない態度に励まされて,君は一歩一歩とその話に深入りし,最後に声を落しながらも勢い込んで言ったものだ.「君,彼女は全く神秘的なんだよ」.・・・普通の意味から言えば,一個の少女が神秘などと呼ばるべきものではない.もし仮に,一個の少女が神秘と呼ばれ得るとしたなら,殆ど大抵のものは神秘と呼んで差支えないであろう --- ところが正にその通り,神秘と呼んで差支えないないのである.
(ベネット, pp.16--17)

そして,恋愛は,

偉大なるものの持つ美は,それよりも小なるものの中にも存在することを教える・・・
(ベネット, pp.21)

 プラトン風に言うならば,すべてのものに宿るイデア,それを発見することが結晶作用なのかもしれません.

ふりかえりますと、前に池があって、ハスの花が、いっぱいさいていました。ひとつひとつ、よーく、見ました。が、花の上には、やっぱり、ほとけさまは、おられませんでした。でも、ハスの花は、とってもきれいでした。池も林も空も、見れば見るほど、まえに見たこともないほど、きれいに見えました。そして、ぜんざいの心の中まで、すっきりしました。
「ほとけさまが見えるって、こんなことかもしれない。」
 と、ぜんざいは、にっこりほほえみました。
(「善財童子さま」末尾部分)

 「裏から見ていた刺繍を表から見る」という喩があるらしいのですが,善財童子は,裏から見ていたこの世界という刺繍を表から見たのでしょう.そのとき,見慣れた花も池も林も空もきれいに見えた.それが世界に向けられた結晶作用ならば・・・.それが,世界虚空に仏を見るということかもしれません.

【補足】
 話をずらしにずらせて,才市さんの歌まで持って行こうとしましたが,最後の方は力尽きました(^^;).

 楠一, 06:030: 楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, 第6ノート, 30番(p.224).

 スタンダール:『恋愛論』(原亨吉, 宇佐美英治訳, 角川文庫, 1971, p.32).

 ラッセル:ノートに書き抜いてあった言葉ですが,出典が書いてなくて,いま,探し出せません.因みに,理論的で懐疑主義を自ら標榜するラッセルにこの言葉があることに感銘を受けました.そういえば,あるラッセル伝は『情熱の懐疑家』という副題を与えられていました.

 ベネット:『文学趣味』(山内義雄訳,岩波文庫, 1955, pp.16--17, p.21).これもノートに書き抜いてあったもので,今,頁番号などを確認したところ,訳文が少し違っていました.別の訳本から書き抜いたのかもしれません.なお,二つ目の(p.21からの)引用は,ベネットの原文では,「恋愛は」ではなく「文学は」です.

 「善財童子さま」:小島敏郎作.華厳経に見える善財童子の旅を童話風に語り直したものです.
http://hanaha-hannari.jp/e_mag2.htm

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