主に男女間の感情に関わる,30篇の短い小説を集めた本.帯の惹句を借りれば,「大病からよみがえり,執筆に執念を燃やし続けてたどり着いたさまざまな『愛』の形をつづる三十篇.数え歳九十五歳にして初めての,寂聴・掌小説集」.
収録されている一つ一つが味わい深いのですが,それが30篇集まると,また,別の趣が生じます.つまり --- 今まで,無数の人々がこの世に生まれ,深い想いを抱きながら,あるいは,ふとした心の揺らぎを感じながら,一回限りの命を生き,そして,去って行った.その,深い想いや心の揺らぎが残り,空を漂う.それに耳をすませる・・・.
あるいは,また,同じ作者の『釈迦』を思い出しました.『釈迦』でも,何人もの女性の生涯が語られていました.そして,それを黙って聞き取る釈尊.観音菩薩とは,衆生が苦しみ悩む声(音)を聞(観)いて救う菩薩だとも言われます.人々が叫び,あるいは,洩らす声に耳を澄ますこと.それは,救いに駆けつけるための手段というより,救いの一部なのかもしれない・・・そんなことへも思いが飛びました.
瀬戸内寂聴さんがケータイを始められた頃、メールを初めとする諸機能を楽々使いこなされているので、失礼ながら、スゴイですね、と言うと、説明書を最初から最後まで全部読んだとおっしゃってました。「わたしは小説家だから書いてあるものを読めば分かるのよ。」とのこと。(平野敬一郎)
「小説家だから書いてあるものを読めば分かる」・・・恐れ入りました.
【補足】
瀬戸内寂聴『求愛』(集英社, 2016).
瀬戸内寂聴『釈迦』(新潮社, 2002).
平野敬一郎:こちらのブログから