ゆっくりとジーンが振り向き,顔を夫の肩にあずけた.・・・ジョージには,昔の遠い愛情が遠い丘から帰ってくるこだまのように,かすかに,だがはっきりとよみがえってくるのがわかった.・・・
と,静かに,「さよなら,あなた」とジーンが言い,夫を抱く手に力をこめた.答える時間はついになかったけれど・・・.
地底の岩の奥深く,仲を隔てられたウラニウム塊どうしが永遠に来ない結合を求めて,どっと走り寄る.
島はあかつきを迎えて空に舞い上がった.
(『地球幼年期の終わり』)
『幼年期の終わり』はクラークの代表作(そして,SFの中でも屈指の名作)だと思いますが,この場面は,そのなかでも特に印象的な所でした.
未来を失った人々が,島の地下に仕掛けた原爆で自爆することにし,爆発の時間は秘密とされたが,ジーンは直感的に自爆の時を察知して・・・という流れです.分割しておいたウラン塊どうしが衝突し,臨界に達して核爆発が起きるが,爆発が起こったとたん,ウラン塊は再びばらばらに飛び散ってしまう・・・そんな核爆発の流れが,ジーンとジョージの関係に重ねられています.自然科学的な描写が叙情性を帯び,それがいやらしく感じられないのがクラークの魅力ではないでしょうか(この点でそっけないほど冷静な描写を得意とするアモフとは対照的です)・・・・・・
・・・以上は,5年ほど前に書きかけていた記事です.福島原発の事故が起こり,原爆による自爆の描写を冷静に受け止められないような気がして公開を中止しました.
あれから5年.「絶対安全」というのがいかに当てにならないか,思い知らされたはずなのに,また,「安全基準に適合」したから大丈夫みたいな議論が勢いを盛り返してきています.当時は,こんな記事でも公開をためらわれたのに.原発事故直後の「核」への感覚を思い出すために,一度ボツにしたこの記事を改めて公開します.実は,今回もかなり迷ったのですけど.
【補足】
『地球幼年期の終わり』:アーサー・C・クラーク, 沼沢 洽治 訳(東京創元社,1971).引用は,pp.276--277.引用中の・・・は引用者による省略.かなり省略しています.