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[才市] 祈り祈祷が ならぬが繁盛
旧ブログ 2016年2月19日 (金)

祈り祈祷が ならぬが繁盛
これが阿弥陀の南無阿弥陀仏
(k3-05:054)

この口あい,実はちょっと分かりかねるところがあります.楠本には

いのりきとやをがならのがはん上
これがあみだのなむあみだぶつ。

とあり,この一行目に

祈り祈祷など、拝んではならぬ浄土真宗が繁盛

と注がついています.

「いのりきとや」を「祈り[や]祈祷や」,「をがならの」を「拝[むのは]ならぬ」と読んだのでしょう.「や」がなければ,「きとやを」は「きとを」,つまり,「祈祷」となり,「祈り・祈祷が,ならぬが繁盛」とすっきりするのですが・・・.今回は,口に乗りやすい形にまとめてみました.

 いずれにせよ,阿弥陀様のみ教えに従うものは,祈り・祈祷をしないことを歌った口あいです.浄土真宗では,祈祷・まじない・占いの類に頼ることを迷いの一つと考え,それらに頼ったりはしません.「~~をお祈りいたします」などという表現も普通は避けます.

 それは当然のことなのですが,ただ,私は,「祈り」という言葉や行為を頭ごなしに退けることができませ.それは,「祈り」という言葉から,二つの「祈り」を思い浮かべるからです.その一つは,遠藤周作『女の一生』の最後の部分に描かれている祈り,もう一つは,渡辺一夫が教会の前を通りかかったとき,いきなり「祈りましょう」と言って教会に入りしばらく祈りを捧げていたという話です.詳細は略しますが,私はこの二つの「祈り」を否定できません.

 津島佑子氏に『夜の光に追われて』という小説があります.子供を亡くした現代の女性(「私」)が『夜の寝覚め』の作者宛に決して届かない手紙を書くという話で,その手紙と『夜の寝覚め』の再話とが交互に配されるという構成になっていました.そして,最後の方で,『夜の寝覚め』の再話部分に現代の私が登場します.「きのう,私は亡くなった子供の一周忌を迎えました」と言いながら.現代と過去,現実と物語の世界が混じりあってしまうわけです.幻想小説の類ではないのでこの展開には驚きましたが,でもその一方で,必然的な展開のような,何か納得したような感じがしたことも覚えています.

 この小説の最後の方にこんな一節がありました.

要求を出したり,不平不満を洩らす,ということとは違う祈りの意味・・・ (津島, p.414)

 真宗で否定する「祈り」は,「要求を出したり」する「祈り」でしょう.でも,それとは違う「祈り」も確かにあります.『夜の光に追われて』の印象を一言で言えば「祈り」です.そして,その祈りも,また,否定することのできない祈りの一つでした.

 津島佑子氏(1947 -- 2016)の訃報を見て,『夜の光に追われて』を思い返しながら,そんなことを思いました.


【補足】
 親鸞聖人ご自身が「いのり」という言葉を肯定的に使ってらっしゃる例があることは,よく知られていると思います.『浄土真宗聖典 注釈版』(本願寺, 初版), p.783など.これについては,たとえば霊山勝海『親鸞聖人御消息』(本願寺, 2006), p.149などをご覧ください.

 才市さんの口あい(k3-05:054)は,楠恭編『妙好人才市の歌 全』の三, 第5ノート, 54番(三のp.123).

 津島佑子『夜の光に追われて』(講談社文芸文庫, 1989).「私」が過去に入り込むのはp.403以下.また,引用はp.414から.

 遠藤周作『女の一生 二部・サチ子の場合』(新潮文庫, 1986, pp.483--484). 『女の一生』全体が,この祈りの場面で結ばれます.

 渡辺一夫の逸話は何で読んだのか探し出せませんでした.多分,“巻末解説”の類だろうとは思うのですが・・・.渡辺一夫はラブレー研究で有名な方ですが,ラブレーの時代は,新教徒と旧教徒がキリストの名のもとに殺し合いを演じた狂気の時代でした.そして同時に,その狂気の中で,ユマニストたちが理性と寛容を説いた時代でもありました(「旧教徒,新教徒としてではなく,キリスト者として話し合いたい」).渡辺氏も,戦争,あるいは戦後の赤狩りなどを狂気と見据えた上で,そのような世界の中にあって,なお,理性と寛容をもって生き延びようとされた方でした(因みに,大江健三郎に『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という本があります.読んでないのですが,この表題は渡辺一夫を思い起こさせます).渡辺氏の戦争中の日記(筑摩書房の著作集第14巻所収)は何度読み返してもつらい.そして,威勢の良い掛け声とともに,そんな狂気の時代がまたやってきそうな気がしてなりません.

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