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[才市] 凡夫の根切りをしてもろて
旧ブログ 2016年1月29日 (金)

わたしや うれし
凡夫の根切りをしてもろて
あうてないのも をなじこと
うれし うれしの なむあみだぶつ

 3行目がちょっと分かりにくい表現になっていますが,「煩悩は,あっても,なくても,同じことだ」という意味でしょう.
 煩悩の根を切ってもらったので,煩悩が消えてなくなった・・・というわけではありません.生きている限りは煩悩が湧き起ってきます.では,「根切をしてもらった」とはどういうことなのでしょうか.

 この口あいについて次のように聞かせていただきました.

昔の歌に,

生花のこの世の水につけられて 花は咲けどもみのらざりけり

と詠まれたものがあります.同じ梅の花でも根を切られた生花と地に植わった花とでは見た目にその区別はわかりません.しかし,時が経つとともに一方は実を結ぶ花,他方は実を結ばない花との違いがはっきりと表れてきます.生きている間は罪障の煩悩(花)は滅することはありませんが,その煩悩に惑わされるか惑わされないか,往生の障りとなるかならないか(実を結ぶか結ばないか)で大きな違いが生じます.
(白川, pp.39--40, pp.138--139)

 根切をされた生花は,煩悩の花は咲いても実はならないから,煩悩があってもなくても同じこと,というわけです.

 一般に,「花」や「実」は好ましいものの譬えに使われることが多いように思います.特に才市さんは,「稔り」と「み法」(み20160129のり=仏法)を掛け言葉のように使うことがありますので,比喩の使い方という面でもちょっと面白く感じました.

 因みに,写真のシクラメンは昨年買ったものですが,鉢植えで根切をしてないので,今年もしっかり咲いてくれました(右にちょこっと見えているのはヒヤシンスの芽です.これも根切をしていないので,花が終わった後,花壇に戻す予定).

【補足】
 才市さんの口あい: 楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, 第6ノート, 29番(pp.223--224).
 白川: 白川晴顕『妙好人のことば: 信心とその利益』(本願寺出版, 2015).引用は,pp.39--40から.pp.138--139に才市さんの口あいとの味わいとして再説されています.

 シクラメンは,昨年,私が一番苦しかった時に坊守が病院に持って来てくれたものです.感染症予防のため病室には持ち込めず,隣の面会室に置いてもらい,ガラス窓越しに毎日眺めていました.家族でも病室には入れないので,坊守も,見舞いに来るたびに面会室に入ってシクラメンに水をやり,ガラス窓越しに携帯電話で話していました(通話用電話も備え付けてあったのですが,無線の携帯電話の方が便利でした).

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