こんな才市は書くことはやめりゃええだ
いいや こがな楽しみはありません
やめらりゃしません
死ぬるまではやみ《やめは》しません
法を楽しむ[には]書くもんであります
まことにゆかいな楽しみであります
名号のなせることの楽しみ
なむあみだぶであります
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
(楠三, ノート9の36)
この口あいから,才市さんにとっては,口あいを書くこと自体が楽しみだったことがわかります.さらに才市さんは,自分の口あいを「私の作品」とはあまり思っていなかったようです.「名号のなせることの楽しみ」とはそのあたりの感覚を言ったものでしょう.そういうわけで,才市さんは自分の口あいを人に見せたり,大事に取っておくという気は全くなかったようです.
口あいが出るようになった当初は,手近なものに書き留めて,夜,それを読み返して改めてお念仏を喜び,そして燃やしてしまっていたようです.梅田謙敬(安楽寺住職)が,ノートに書き写すように強く勧められてもなかなか実行せず,池永義亮師(安楽寺院代)に“これに書きなさい”とノートを渡されてやっと書き写すようになったといわれています.それでも,最後まで,他人に見せるものではない,大事に囲っておくようなものではないという気持ちは変わらなかったようです.
才市さんの最晩年,ハワイに行くことになった寺本慧達師が,当山の客殿で才市さんとの別れを惜しみ,たぶんこれが最後の別れになるから,口あいのノートを全部貰えないだろうかと頼んだそうです.そうしたら,才市さんが:
「アンナもの,どうしなはりや」
と言う。今迄のように,私が読ませて貰うのだと言うと、
「他人に見せるために書いたのではないから,いやだ」,と言う.
「私も他人に見せるために貰うのでは無い.私一人が味わせて貰うためだ」と言うと,
「そうかな,それなら,みなあげましょう」
と言って,当時彼の手元にあった全部を,私に譲ってくれたのであった.
(寺本, p.111)
才市さんの「口あい」へのこだわりのなさをよく表している逸話です.
【補足】
楠三:楠恭編『妙好人才市の歌 全』の三, 第9ノートの36番.
寺本:寺本慧達『浅原才市翁を語る』, 東京千代田女学園, 昭和27年[1952].
なお,才市さんは,人に見せるものではないと言いながら,僧侶には口あいを見せていました.これは,自分の味わいに間違いがないかを見てもらうためです.これについては,次の記事をご覧ください.
2014年7月26日 (土) , 2014年7月24日 (木) の【補足】