なむあみだぶは 日なり 月なり
機も法も みなわかる
てらされて あさまし あさまし
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(楠, 二, p.144)
アリストテレスと熊谷直実
・・・なんて突拍子もない小見出しを付けてみましたが,アリストテレスの思想を論じるなんて大それたことをするつもりはありませんので,まずは,ご安心を?
さて,高校生の頃だったでしょうか,『アリストテレスとアメリカ・インディアン』(岩波新書, 1974年)という本の広告に,アリストテレスは奴隷制を容認していたというようなことが書かれているのを見て,ちょっとショックを受けたことがあります(小見出しはこの書名のパクリです).これがなぜショックだったのか.思い返してみると,こういうことを考えていたようです.
とまぁ,そんなふうに漠然と思っていたところに,アリストテレスは奴隷制を容認していたと聞いたものですからショックを受けたということのようです.今から考えると,なんとも素朴・単純なことを考えていたものですが,ともかく,生まれ育った社会の価値観に人はいかに深く支配されるかということを強烈に印象付けられました.
アリストテレスの話は以上です(^^;).次は熊谷直実の話.
御伝鈔の「信行二座」の段にも登場するこの人物に先日意外なところで出会いました.
インターネットで大学の講義がうけらられるという,いわゆるMOOCがこの春から日本でも始まりました.その最初の講座である『日本中世の自由と平等』を見ていたところ,最後の方で熊谷直実の次の逸話が,平等を求める人の叫びが初めて描かれた例として紹介されていたのです.
法然上人が九条兼実に呼ばれたとき,熊谷直実もボディーガードとして付いて行ったのだが,身分が低いから部屋には入れず,縁側の外の石段のところで待っていた.室内では法然上人と九条兼実がご法義の話をしているらしいが,外にいる直実にはよく聞き取れない.直実はそれが悔しくて,とうとう叫び声をあげた.
「あはれ,穢土ほどに口おしき所あらじ.極楽にはかかる差別はあるまじきものを,談義の御こゑもきこえばこそ」
これについて,講師の先生はこんな言い方をされました.
当時,「平等」という言葉はあるにはあったが,史料に出てくることはめったになく、一般的に使われる言葉ではなかった.しかし,熊谷直実はそれを裏返した形で極楽にはかかる差別はあるまじきものをと言った・・・.(要旨)
「裏返した形で」という言葉が印象的でした.つまり,当時は「平等」という概念自体が希薄だったので,直実にもそんな発想はなかった.アリストテレスに奴隷制度を不当とする発想がなかったのと同じです.しかし,直実は,差別のないお浄土を知っていたので,「浄土にはこんな差別はない」という言い方で,平等を「裏返した形で」訴えることができた,ということでしょう.
(仏 vs 私) ∽ (浄土 vs この社会)
自分の欠点は自分ではなかなか分かりません.損得にとらわれて自分に甘くなるというだけでなく,自分ではこれが当たり前と思っていることは反省のしようがないからです.だから,「てらされて あさまし」,つまり,仏の完成された姿に照らされて初めて,自分の本当の姿に気付かされるわけです.
同じように,お浄土という完成された世界照らされて,この社会の姿も本当に見えてくるのではないでしょうか.アリストテレスが奴隷制度を容認したように,今から見ればとんでもないことが昔は当然のこととしてまかり通っていた例はいくらでもあります.目先の利害にとらわれて公正な判断が下しくいだけでなく,自分の生まれ育った社会の価値観に縛られているからです.しかしながら,お浄土という完全な世界を知らされることによって,「当たり前」が決して「当たり前」ではないことが見えてきます.ちょうど,直実が,差別のないお浄土を知ることによって,当時当たり前とされていた身分制度に異議を唱えることができたように.
「今上の花報」
『法然上人絵巻』によれば,直実の叫びを聞いた九条兼実は,直実を室内に呼び入れていっしょに聴聞させたということです.そして,この逸話は次のような言葉で締めくくられています.
往生極楽は当来の果報なをとをし.忽ちに堂上をゆるされ,今上の花報を感じぬる事,本願の念仏を行ぜずば,争≪いかでか≫この式に及べきと,耳目をどろきてぞ見えける.
これを,“今ここで,今貴族の仲間入りをさせてもらえるから,お念仏はすばらしい”などと理解しては,お念仏を不平等温存の道具にしてしまうことになります.直実が殿上人と同じ部屋で聴聞できたのは,彼が特権的な地位を分け与えられたからではなく,平等の理想が(極めて限定的で一時的なものではあるけども)実現されたからと味わうべきではないでしょうか.
「現実無視の理想論」という言葉で理想を否定するのではなく,逆に,理想によって現実の間違いを批判する力を与えてくれるのがお浄土の働きです.
「現実」の束縛から我々を開放し,現実を批判する精神の自由を与えてくれるのがお浄土という世界であり,それにより,この穢土を,ごくかすかにではあれ,お浄土に近づけようと努めることができる・・・それが,お念仏の「今上の花報」だと聞かせていただきました.
【補足】
この春から始まった日本版MOOCとは gacco のことです.熊谷直実が登場するのは
gacco001『日本中世の自由と平等』講座,week4の5「熊谷直実の叫び 平等の希求」
です(なお,この講座はすでに終了しています.受講には登録が必要で,gaccoへの登録は今でも可能ですが,この講座の受講登録が今でも可能かどうかはよくわかりません).
熊谷直実が叫んだ話は
大橋俊雄 校註『法然上人絵伝』上(岩波文庫, 2002), pp.325--326(『法然上人行状図絵』巻27).
才市さんにはこんな口あいもあります.
なむぶつは よいかがみ
法もみえるぞ 機もみえる
あさまし あさまし ありがたい
あみだのこころ みるかがみ
『ざんぎとかんぎ』, p.73
(この口あいは,ずっと以前にWebSiteの方で紹介させていただきました).