今,手元に鈴木大拙『神秘主義:キリスト教と仏教』という本があります.エックハルト,禅,真宗を論じたものですが,才市さんの口合いがたくさん引用されて,最後の章は,才市さんの口あい集になっています.今日は,この本の一節をご紹介します.
才市はいかにも家庭的で飾り気がないので,つい彼の作業場を訪ねて,木片から削り落とされる鉋屑をトクと拝見してみたくなるのである.
(六)才市や なんで働くか
へ わたくしゃ なむあみだぶで 働きまする
なむあみだぶつ なむあみだぶつ(七)ありがたいな
娑婆ですること
家業 営みすることが
浄土の荘厳に
これがかかわるぞよ(八)浮世働き諸仏とするよ
浮世働き菩薩とするよ
親に守られ先に参ったる人 おるぞよ
なもあみだぶの中で遊ぶよ
ご恩うれしや なむあみだぶつ宇宙全体に遍満している仏菩薩たちと共に,働く才市の仕事ぶりを眺めることは,何ものにも勝るすばらしい情景であるに違いない.それは浄土からそのまま運びこまれた光景である.
【補足】
鈴木大拙(坂東, 清水 訳)『神秘主義』(岩波, 2004). 引用はpp.223 -- 224から.
なお,才市さんの口合いについては,表記をすこし改めました.また,訳者注記によると出典は次の通りです.
(六)鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, p36.
(七)楠恭編『妙好人才市の歌 全』の一, p.94.
(八)鈴木大拙編著『妙好人浅原才市集』, p.285.
こんな口合いを引用すると,通俗道徳へと話が流れてしまい勝ちですが,そういう安直さはまったくありませんね.もっとも,通俗道徳に流れなければそれでいいというものでもなくて,“「ノンポリ」という名のある政治的立場”なんて言葉もありました.もう一方の落とし穴ですね.