ひとのものは なんぼでもほしい
取っても 取っても ほしい
ほしい ほしいの つのがはえ
あさまし あさまし あさまし
邪見ものとは この才市がことよ
(『ご恩うれしや』 p.95)
「人の物はなんぼでも(いくらでも)欲しい」,人がどうなってもわしゃそれが欲しい,原発事故で苦しむ人々の姿を見ても,電力不足で“生活の質が下がる”ことを気にする私がいます.水槽の電気は切れないなぁ,と(大震災と計画停電のあと,関東などで熱帯魚の水槽を手放した方がたくさんいらっしゃるようです).その程度のことを,生活の質の低下だと言って心配している.福島原発近くの人々の生活の質の低下がどんなものか,薄々知っていながら・・・.
いや,それどころか,自分がどうなってもやっぱり欲しい・・・.今回の事故は「想定外」だったそうです.そうだとすれば,島根原発でも,「想定外」の事故が起こる可能性が十分あります.「想定外」ですから,どんなことになるかわからない.そんな薄氷を踏むような状況にいながら,家庭内ファイルサーバにハードディスクをもう一つ増設したいなんて思っています.呑気な話です.取っても取っても欲しい欲しい・・・.
比丘たちよ,人々の眼は燃えている.その対象に向かって燃えさかっている.人々の耳は燃えている.人々の鼻は燃えている.舌も燃えている.身も燃えている.そして,意《こころ》も燃えている.その対象にむかって,熾然として燃えさかっているのである.貪欲のほのおをあげて燃えているのであり,瞋恚のほのおをあげて燃えているのであり,また,愚痴のほのおをあげて燃えているのだ.
(増谷, p.101)
【補足】
増谷:増谷文雄『この人を見よ:ブッダ・ゴーダマの生涯』(講談社文庫, 1985).ついでに,手塚治虫『ブッダ』第9巻(文庫本)で,この説教が描かれています.どういうわけか中国が舞台になっていますが(^^).
この口あいの全体は次の通りです:
あさまし あさまし
邪見 きょうまん 悪才市
邪見 きょうまん 悪才市
あさまし 邪見 きょうまん 悪才市
あさまし あさまし 悪才市
ひとのものは なんぼでもほしい
取っても 取っても ほしい
ほしい ほしいの つのがはえ
あさまし あさまし あさまし
邪見ものとは この才市がことよ
この才市には
ひとが おそれております
それに《それだのに》
ひとが 知らんと 思うております
(『ご恩うれしや』 pp.95--96)
>ひとのものは なんぼでもほしい
たしかに持っていないものを欲しがる私たちですね〜ぇ。
反面、持っているものを当たり前にして、ちっとも大切にしない
私たちであります。失ってからでは遅いのに・・・・。