才市よい
われが《お前の》浄土参りは
いよいよ解ったか
へえ
わたしが浄土参りは
わたしが方ではわかりません
そがな《そんな》ことは
おや《阿弥陀さま》でなけらんにや《なければ》 わかりません
(鈴木, p.264)
こんな話があります.
庄松さん,ご本山での「おかみそり」の最中に,こともあろうにご法主の袖をつかまえて,「アニキ,覚悟はええか」.式が終わると回りは大騒ぎ.なんちゅうことを,きっときついお咎めがあるに違いないと皆が心配しているところに,案の定,呼び出しがかかった.しかし,庄松さんは平気な顔をしてご法主のもとへ.
ところが,ご法主がおっしゃるには,「私を敬うてくれる人はたくさんいるが,親身になって後生の意見をしてくれたのは,そち一人だけじゃ.よう言うてくれた.ところで,そちはどうじゃ.後生の覚悟はよいか」.
そしたら庄松さん,お仏壇の阿弥陀さまを指して「知らん! あれに聞け」.
この話は良く知られていると思いますが,才市顕彰法要で,あるご講師の先生が非常に劇的にお話くださいました.「知らん! あれに聞け」はその先生の“演出”のようで,元の話では,もう少していねいな言い方をしたことになっているようです.
それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる,我の仕事じやなし,我に聞いたとて分かるものか.
才市さんの口あいとほとんど同じですね.
【補足】
鈴木:鈴木大拙編『浅原才市集』, p.264 (第16ノート).
庄松さんの話は『庄松ありのままの記 続編』の一にあります.また,梯實圓『妙好人のことば』(法蔵館, 2008)では,pp.86--90.
本文中の庄松さんの話は,才市顕彰法要でお聞きしたときの記憶を,この二つで補いながら適当にまとめました.ご講師の先生の,「アニキ,覚悟はええか」と「知らん! あれに聞け」は,そのときの口調まで鮮明に覚えています.この辺が“ライブ”の強みですね.
なお,ここで本山というのは興正寺,ご法主は,本寂上人のことだそうです.