わたしゃ七十九歳
娑婆の日暮れが 極楽の夜明け
目が境 なむあみだぶつ
(楠, 三, p.86)
今年の才市顕彰法要がいよいよ近づいてまいりました.次の日曜日(6月5日)です.お誘いあわせの上,ぜひ,お参りください(詳しくはこちら).
さて,このところ更新が途絶え気味ですので,今回は,以前書いたものを引っ張り出して更新の格好をつけておきます.今年の3月と4月に,仏教婦人会で地元の一人暮らしのお年寄りに弁当をお届けしましたが,そのお弁当につけた文章です(一部省略,改変).文中に引用した才市さんの口あいは,以前にご紹介したものですが・・・.
(2011年3月7日)
厳しかった冬がやっと去ったと思ったら、また寒さが戻って来ました。いかがお過ごしでしょうか。
この冬は、本当にたくさんの方々をお見送りしました。こうしてたくさんの死に出会うと、改めて、私もいつかは必ず死ぬ身であることを思い知らされます。
でも、死んだら終わり、ではありません。才市さんの口あいに、「娑婆の日暮れが 極楽の夜明け」という言葉がありますが、この世界の縁が尽きたとき、私たちはお浄土に生まれさせていただくのです。
わしの父親 八十四才
往生しました お浄土さまに
わしの母親 八十三で
往生しました お浄土さまに
わしもいきます やがてのほどに
親子三人もろともに
衆生済度の身とはなる
ご恩うれしや なむあみだぶつ
先立たれた方はお浄土に往生して、私に働きかけている、その働きがお念仏です。そのことに気づかされたとき、私も必ずお浄土に生まれさせていただくということが分かり、いっしょにお念仏を称えさせていただくのです。
花盛りの季節まで今しばらくのようですが、お念仏はいつも花盛りです。ともにお念仏の花を咲かせながら春を待ちましょう。
(2011年4月29日)
ようやく春らしい暖かさになってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
東日本では、苦しい状況が続いています。でも、そんな中、一面を覆う海水が引いた後に、桜の花が咲いたというニュースがありました。津波で流された自動車や漁船が散乱する中、一本の桜の木が見事に満開の花を咲かせていました。
この度の震災では、命のはかなさを嫌と言うほど思い知らされました。しかし、命はまた、厳しい状況の中から再生する力強さも持っていることをこの桜は教えてくれています。
考えてみれば、この地球上に命が誕生してから今日まで、幾度も環境の激変と生物の大絶滅がありました。しかし、大きな命の流れは絶えることなく、その結果として、今、私たちがここに生きているのでした。
さいちゃ なにがおもしろい
まよいの浮世が おもしろい
法をよろこぶ たねとなる
なむあみだぶの 花ざかり
一つ一つの命ははかないものです。でも、その背後に流れる大きな命はいつも花ざかりです。それに気づかされたとき、私たちは、このはかない命を精一杯生きることができるのではないでしょうか。
【補足】
楠, 三 p.86:楠恭『定本 妙好人才市の歌 全』の三.ノート3の97番.
お弁当サービスは,例年,春と年末の2回です.でも,昨年末には実施できませんでした.年度末も迫って,仏教婦人会の役員の方に坊守が “今年度は1回しかしていないが・・・” と相談したところ,“やりましょう!” と頼もしい返事.というわけで,3月に実施.4月には今年度春の分を例年通り実施というわけで,2ヶ月連続実施になりました.毎月しているわけではありません.