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四十九日をお勤めしました
旧ブログ 2011年2月 6日 (日)

 当山前住職の四十九日を,ご導師S寺さま,ならびに,ご縁の深かったK寺さま,G寺さまによって勤めていただきました.
 ご法話の中で,命の“存在価値”に気づかせてくれるのが親であるとお聞かせいただきました.

私たちは,役に立つものは価値がある,役に立たないものは価値がない思っている.そして,命についても利用価値を考えてしまう.有能は人は立派な人,何もできない人は価値がないと.しかし,親の死に出会って,親は,いてくれるだけでありがたいものあったことに気づく.これは,親だけではない.すべてのいのちは存在するだけで価値がある.そして,そう呼びかけておられるのが阿弥陀如来である.そのことに気づかされるご縁を親から頂いたのだった.

 「無量寿仏(“量ることのできない寿《いのち》=無限の寿”の仏)」という阿弥陀如来のお名前は,「いのちを量ることをしない仏(いのちの値踏みをしない仏)」と読むこともできるとお聞かせいただいたことを思い出しました.

【補足】
 ご法話は一部を要約したものです.また,お通夜,七日七日のお勤めでお聞かせいただいたご法話とごっちゃになっているかもしれません.
 S寺さま,K寺さま,G寺さまなどとイニシァルにする必要があるのかとも思いますが,身内の法要という感じが強いので,こうしました.
 身内のことをベタに書くことは控えたい,しかし,そうすると,頭が消化不良を起こしていて,何をどう書いていいのか分からない,ということもあって,父の往生については書かずにいましたが,この場を借りて,お世話になりました方に,心からお礼申し上げます.ありがとうございました.

 前回コメントで予告の記事は次回に.

コメント

日の過ぎるのは 早いですね
私もそうでしたが、父親を亡くしてから忘れ去っていたことが
思い出され、改めて出会い直したことが沢山あります。
どれも、生きている内には出会えないことです。
還相回向とはこういう事なのでしょうか??

 “春は僕たちの知らない間にやってきた.僕たちの知らない間に去っていくよ”という言葉をある小説で読んだことがあります.“知らない間に”とは,“こちの状況や気持ちに関係なく”という意味でしょうが,本当に月日は知らぬ間に過ぎて行きますね.

 私も仏さんではないので,個々のことを,これは還相廻向の働き,これは違うなどという判定はできませんが,そんな判定なんかしなくても,ああ,これもなき人のご縁と感じるのなら,それを還相廻向と喜ばせてもらっていいと思っています.
 ただ,その背後に阿弥陀さまの普遍的な働きを感じる点が,“背後霊”とか“ご先祖様の霊のご加護”と違うところですね?

はい

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