さいちよい へ
たりきを きかせんかい
へ たりきじりきはありません
ただ いただくばかり
(『ご恩うれしや』 pp.52--53)
どこかで,こんな句が紹介されているのを見たことがあります.
白鳥《しらとり》の 静かに己が 身を流す
“ただ流れに身を任せているように見える白鳥には,実は,流れに身を任すという凛とした覚悟ある”というような解説が付いていたように思います.大変印象的な句ですね.さりげなく,しかし凛として流れに身を任す白鳥の美しい姿が目に浮かびます.
流れに身を任すといっても,決していい加減でグータラなわけではない.流れに身を任せて間違いないという確信,そして,そのその結果はすべて引き受けるという覚悟.浄土真宗でいう他力も決してあなた任せのいい加減なものではない.そこにはゆるぎない信仰に基づく確固たる決意があり,そのような信心の人には凛とした美しさがある・・・と,つい言いたくたくなりますが,なんかちょっと違うみたいですね.
流れに身を任せてみれば,しっかりと己の身を受け止め,間違いなく運んでくれている水の流れに気づく.気づいてみれば,身を流すだの流さないだのという自分の決断など,実はどうでもよいことであった.自力と他力の二つに分けて,さぁどちら,などといたづらに騒いでいる私.そんな私を丸ごと包み込んで運んでゆく大きな流れ.それに気づかされたとき,おのずとその流れに身を任すことになる.ただ,いただくばかり・・・.「静かに己が身を流す」という凛とした姿のさらに先に開けてくる世界.それが他力の世界なのではないでしょうか.
【補足】
この句を見たのは朝日新聞の『折々の歌』だったように思いますが,確認していません.句も説明も記憶で書いていますので,違うかもしれません.句の作者も忘れました.