先日の「原爆の日」,広島平和記念式に,アメリカの代表が初めて参列しましたが,さっそく,アメリカ国内から批判の声が上がっているそうです.
原爆投下によって日本本土上陸作戦を実行せずに戦争が終わった.沖縄戦からも分かる通り,本土上陸があれば日米とも膨大な犠牲者がでただろう.原爆投下によって,多くのアメリカ兵と日本人の命が救われたのである.だから,原爆投下は正しかった.参列は,原爆投下を謝罪する等しいから間違っている・・・という意見のようです.
このニュースを聞いて,ずっと昔に聞いた話を思い出しました.アメリカで,原爆の悲惨さを伝える写真を展示し, 「No more Hiroshima」と訴えたところ,「Remember Pearl Harbor」,「真珠湾を忘れるな」という罵声が返ってきたという話です.
原爆投下に関する上記の解釈はかなり一方的なものですが,それついてはひとまず置きます.仮にそうだとしても,「真珠湾を忘れるな」という言葉が,真珠湾攻撃による犠牲者のことを忘れず,あのような戦争を二度と起こさないようにという意味ならば,日本人と一緒に,「真珠湾をわすれるな」,そして,「No more Hiroshima」と訴えることができたはずです.「真珠湾に始まり広島・長崎に終わった,あの愚かで悲惨な戦争の犠牲者のことを忘れず,同じ誤りは二度と繰り返さない」と.
しかし,実際には,そうではありませんでした.「真珠湾を忘れるな」という言葉は,日本への敵意を煽り,日本との戦争を正当化する言葉だったからです.
真珠湾攻撃のニュースを聞いて世界中の政治家が喜んだ,唯一人ヒトラーを除いて・・・というジョークを聞いたことがあります.当時のアメリカは連合国側を支援していましたが,参戦には国内に根強い反対がありました.しかし,真珠湾攻撃によってアメリカ国内は一気に参戦でまとまります.棚ボタ式に国民世論がまとまったルーズヴェルトは大喜び.チャーチルは真珠湾攻撃のニュースを聞いたとたん,これで戦に勝ったと叫んだ.また,スターリンは,対ドイツ戦に専念できることになってニコニコ顔.米ソ双方と戦うことになったヒトラーだけが,苦虫を噛み潰したような顔してこのニュースを聞いていた・・・.ジョークですから誇張はありますが,当時の状況とその後の展開を言い当てているジョークです.
トンキン湾事件というのがありました.公海上にいたアメリカ海軍が北ベトナムから不当な攻撃を受けたとされる事件で,これを機にアメリカはベトナム戦争への介入を本格化させます.しかし,この事件は,ベトナム介入の口実を作るためアメリカ軍が自作自演したサル芝居だったようです.真珠湾攻撃は,敵が自ら,しかももっと派手に演じてくれたトンキン湾事件と言える面があります.真珠湾陰謀説(アメリカ首脳部は真珠湾攻撃を事前に知っていたが,わざと黙ってたという説)が根強く主張されるのも,このような状況があるからでしょう.
「真珠湾を忘れるな」という言葉も,このような背景の中で連呼された言葉でした.親しい人,あるいは仲間が殺されたとき,だれでも,強い悲しみと怒りを感じます.その感情は,どこに向くかわかりません.場合によっては,このような事態を防げなかった自国の政治家や軍人への批判に向かうかもしれません(真珠湾陰謀説には,それを意図している気配がありますね).あるいは,やっぱり戦争はイヤだという反戦運動に向かうかもしれません.それを,日本への敵意に結びつけ,仇討ち戦争支持へと上手に導いたのが「真珠湾を忘れるな」という言葉だったのです.
犠牲者を悼む心情を敵への恨みに結び付ける,こういう考えに染められた人が「No more Hiroshima」という言葉を聞いてどう感じるかは想像に難くありません.きっと,アメリカを仇と恨む言葉のように聞こえるでしょう.「No more Hiroshima」と聞いて「真珠湾と忘れるな」と言い返す人は,「真珠湾を忘れるな」と叫んでいる自分自身の姿を相手の中に投影し,それに対して言い返しているわけです.
翻って考えるに,私たちが「No more Hiroshima」と言うとき,アメリカを仇として恨む気持ちがまったくないと言い切れるでしょうか.少なくとも,ネット上の発言から,そういう恨みからこの言葉を叫んでいる例をたくさん拾うことができます.敵を見つけ,敵を恨むことに情熱を傾け,それによって,苦しさに崩れ落ちそうになる自分を支える.それが私たちの姿です.そして,そのような心情を上手に利用され戦争へと駆り立てられてきたのが戦争の歴史です.だから,戦争の犠牲になった人々を悼むときにさえ,「日本人として戦い亡くなった」人だけと限定し,それが平等の理想と隔たっていることに気づかないようなこともおきます.
しかし,戦争の犠牲になった方々を悼む気持ちを敵への恨みに振り向け,戦争をするために利用している限り戦争はなくなりません.
法然上人は父親を殺されていますが,その父親は,死に際にこう言ったそうです.
「決して仇を討ってはいけない.仇は仇を生み,憎しみは絶えることがなくなってしまう.それならばどうか,全ての人が救われる道を探し,悩んでいる多くの人々を救って欲しい」と.
仇を怨む心情は抑えがたいものでしょう.親をはじめとする家族,同胞の死は悼むが,敵の死は悼めないというのは,私たちの“自然”な姿かもしれません.それはもう,人の本性としてどうしようもないとさえ思えます.しかし,そういう私たちの姿は,実は,悲惨な姿であること,人としての理想に反する姿であることに気づかせてくださるのが一切平等の仏様の世界です.仏様の世界から見れば,それは決して“自然”ではありません.そして,仏様の世界を規範として,そういうあり方を否定しようとした人々も確かにいたのです.8月15日にあたり,このことを改めて思い起こしたいと思います.
【補足】
法然上人の父(漆間時国)の言葉は,こちらから拝借しました.
真珠湾攻撃陰謀説そのほか歴史上のことについては出典省略.ネットで検索すると一杯出てきます.
温泉津組(ゆのつ そ)テレホン法話「こころのたより」(0855-65-2626)で先日お話させていただいときの原稿です.ただし,テレホン法話の方は,時間の制約からもっと短くまとてあります.
追伸
わたしがよく読んでいる愛媛の大三島の寺のブログの中に
今年、平和式典で小学6年生が二人登場しましたが、
その女性の方が、その寺の住職のお孫さんだったことが書いて有りました。また、その住職さんのお兄さんも被爆して亡くなられているそうです。
愛知に住んでいると、周りに被爆された方の関係者を知る機会が少ないですが、そちらの方は回りに悲惨な縁に会われた方が多いですね。よろしかったら覗いてみて下さい。onsaiさんもよくお話にいかれるお西のてらです。
http://blog.goo.ne.jp/manpukuzi
唯除五逆誹謗正法は、たのむから五逆や謗法は罪が深いから犯してくれるなと、慈愛に満ちた抑止であると思い出されました。
Remember Pearl Harborのような心だと、よくも法を謗ったな!という全く逆の感情になってしまいますね。
No more Hiroshima, No more Pearl Harborですね。
釈破旬さま,YGMさま
長い記事をお読みくださり有り難うございます.
お盆が終わったかと思うと,私は今日から出勤です(内陣出勤じゃなくて俗世出勤の方^^;).
米国では,貿易センタービル跡地近くのモスク建設をめぐってもめているようですね.YGMさんの表現を借りると,“Remember 9.11”と“No more 9.11”とのどちらを取るかと要約できるでしょう.9.11のご遺族の方が,モスク建設なんてとんでもないと泣きながら訴えているのを見て心が痛みました.確かに,大切な人を殺された悲しみを“Remember 9.11”の思いで乗り越えようとしている人にとっては,身を裂かれるような苦痛なのだろうと思います.
オバマ大統領は,“No more 9.11”の立場に立とうとしているように見えますが,それだけの決断ができる大統領がアフガニスタンで何をやっているかを思うと,政治の世界というのはたいへんな世界だと改めて思いました(しかし,ブッシュ大統領が9.11直後に現場で行ったスピーチは,露骨に“Remember 9.11”でしたね).
釈破旬さま
ご紹介していただいたサイトを拝見いたしました.「還相の菩薩(げんそうのぼさつ)」( http://blog.goo.ne.jp/manpukuzi/e/a28f9a486e9a9069c10db673b400bfae )と題された文章が心に沁みました.そこに添えられていた短歌を無断借用いたします.
めぐりくるこの日は悲しされどまた
涙のうちに念仏にかえる
戦争と人間」,是非見てみたいのですが,スカパーは入らなかったような・・・.
YGMさま
あの記事を書いているとき,「唯除」のご文は念頭になかったのですが,たしかに,そうですね.翻って思うに,“Remember Pearl Harbor”のような心でいるから,あの「唯除」にこめられたお心がなかなか理解できない・・・.このご文については,大変印象的なご法話をお聞きしたことがありますので,項を改めて書いてみます.
唯除五逆の法話、帝国ホテルのお風呂には入れない田舎住まいの私にはスンナリ納得いたしました。
戦争と人間 のDVDは市内のレンタルショップ(ツタヤ&ゲオ)には置いてなく、隣町の大きなショップにはありました。
いまは便利な時代で、「ネットで借りて、ポストへ返却」というシステムもありますので、またいつかそれを利用して観てみてはどうでしょう。
残暑(今が本番中のような気もしますが)が厳しいようです。出勤ご苦労様です、そういえば大派では 出勤 といわず 出仕 を言っているようです。
junkさんこんにちは
忙しいのに長文の書き込みご苦労様です。お互い戦後世代で
直接戦争を知りませんが、この時期、いろんな思いが駆け巡りますね。
30年以上前に作られた映画で「戦争と人間」という3部作があります。
映像途中に休憩がはいるほどの長編で共産党員を隠さず活動されていた山本薩夫監督作品です。リアルタイムで劇場で見た覚えがありますが、スカパ-のチャンネルnecoで今月放映しています。一部だけ見なおしましたが、2.3部を見逃してしまい、月末の放送を待っているところです。この作品には満州事変前から日中戦争に入るまでを描いています。
日本軍によるリュウジョウコウ爆破事件のでっちあげが描かれていて
戦争というものはおおよそこのように始められることがおおいのではないかと思いますね。
Remember Pearl Harbor と No more Hiroshima では全く意味合いが違いますね。Remember を忘れるなと約するとNo more に敵対してしまいますが、これには9.11と同じように この一点だけに注目させる意図を感じます。何度もなんども同じ映像をテレビや映画で国民にみせて憎悪を作り出す役目をはたしています。反面No more は原爆の前も特に後を思い、毎年まいとし積み重ねてきた非戦の願いが込められています。
被爆者や戦争体験者からバトンを渡されてしまった私たち世代のこれからの行動が問われる年となりましたね ことしは・・・