手をだすな
みだのおじひに 手をだすな
ぞうぎよう ざっしゅの手をだすな
からかうな
みだのおじひに からかうな
うたがい持って からかうな
いただけよ
みだのおじひを いただけよ
なむあみだぶを いただくばかり
(『ご恩うれしや』,p.24)
あるブログに次のようなコメントが引用されていました.
越前の年寄りがよく言ってましたね。
手を出すな、手を出すな、仏の帳場に手を出すな。
昔の冠婚葬祭では、帳場という名の差配人に全てをまかせていたものです。
差配人は絶対権力者ですから、日常のしがらみがどのようであれ共同体の構成員はそれに従ったものです。
これを転意して、阿弥陀如来の救済のはたらきに、被救済者が関与すべきではないという誡めの言葉が「仏の帳場に手を出すな」です。
(林遊様のコメント)
手を出すな,をもう一つ.
あなたよりきせてもらふた丸合羽
手さへ出さねばぬれるけもなし
(三河のおそのさん)
【補足】 おそのさんの歌はこちらから拝借しました.
こんばんは.
足助の七三郎さんのことは知りませんでした.早速検索.足型が残った話を読みました.いい話ですね.教えていただき感謝.いつものとっぴな連想ですが,「聖母の軽業師」(?)の話を思い出しました.これは私の好きな話の一つです.さて,この二つ,本当に共通点があるのかないのか・・・?
こんにちは
私も「聖母と軽業師」を読ませていただきました。ほとんど読書をしてこなかったので、このお話も知りませんでした。人間自分の能力を超えたことはできないので、出来る事を精一杯尽くすしかありませんね。
七三郎さんの奥方は最初は仏法が大嫌いだったそうで、夫があまりに聞法のお誘いをするので「そんなに言うなら別れます」と云われていたそうです。ある日そのことで口論になり、ついに夫を殴ってしまいました。それをみていた七三郎さんの友人が「あんなにひどい女とは別れたほうがいい、
中に立ってあげよう」といわれたそうです。そのとき七三郎さんは「いやいや、別れるつもりはありません。私は仏法に逆らっている彼女がかわいそうでしかたがないのだよ」と云われたとか、二人の話を隠れてきいていた
妻は自分の不徳を思い知り、それからは夫と二人でいつも聴聞をするようになったとか どんどはれ!!
というお話を、法話で聞いたことがあります。
こんにちは
それぞれの地方にいろんな名言がありますね。
林遊さんのブログのここを私も読んだことがあります。
また、我が愛知の妙好人の おその さんまで紹介していただき
ありがとうございます。おなじ三河(こちらは山間部。そのさんは海沿い)
に足助の七三郎さんという方もみえます。こちらの方も仏法嫌いな奥さんとの間に面白いエピソ-ドを残されているようです。やはり。家庭は念仏の道場ですね。
念仏はやはり受身形だということが、才市さんの歌からも聞こえてきます。