名号不思議は不思議なお慈悲
わたしゃ忘れて 暮らすのに
忘れなさらぬ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
(鈴木,ノート25, p.379)
アルツハイマー病の原因を研究するため,修道院に協力を求めたお医者さんのグループがあります.
修道院では,一人一人の活動の様子や毎日の食事の内容などが記録されていることが多いので,生活習慣や食事と病気との関係を調べるのにちょうどいいからだそうです.さらに,修道院の人々が自分の信仰について書いたものも保存されているので,たとえば,今,70歳の人が15歳の時に書いた文章を調べて,アルツハイマー病になった人とそうでない人と,若い頃の脳に違いがあったかどうか調べるという研究もできたということです.
そのお医者さんの一人が,専門の論文とは別に,この研究で出会った修道女たちのことを書いた本を読む機会がありました.その中に,アルツハイマー病と誤診され,4年間苦しんだある修道女の方の次のような言葉がありました.
私が何をいちばん恐れていたか,おわかりですか?
それは,イエスを忘れてしまうことだったの.
でも悟ったんです.私があの方のことを思い出せなくなっても,向こうは私のことを覚えていてくださるだろうって.
(スノウドン, p.146)
『正信偈』の中の,一番好きな一節を思い出しました.
「わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども,煩悩が私の眼をさえぎって,見たてまつることができない.しかしながら,阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は,そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」と[源信和尚は]述べられた.
(我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我)
【補足】
鈴木:鈴木大拙『妙好人 浅原才市集』.
スノウドン:デヴィッド・スノウドン(藤井 留美 訳)『100歳の美しい脳:アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち』(DHC, 2004).
『正信偈』からの引用は,『顕浄土真実教行証文類(現代語訳)』(本願寺)p.151.
才市さんと正信偈のお言葉では、阿弥陀仏のご恩を拝しておられますが、
修道女の言葉には、「覚えていてくださる『だろう』」と希望・願望が伺えます。
希望を抱くのも幸せなことですが、ご恩をよろこぶのは格別です。
南無阿弥陀仏
↑名前入れ忘れました^^;
釈破旬さま,YGMさま,こんばんは.
釈破旬さま
眼鏡を掛けたままでひょいと上にずらしあげ,それを忘れて,眼鏡が無い!って騒ぐ.そんなところかなって自分では思っています.本人は一応,真剣に困っているわけですが,阿弥陀さんから見れば,ほれ,そこのオデコにちゃんとあるじゃないの,ってとこでしょう.滑稽と言うか,哀れというか,やれやれ・・・.
YGMさま
そこまでは,味わい切れませんでした.眼鏡が無い!って騒いでいるようなありさまでは無理か.そんな私を倦み疲れることなく照らしてくださる阿弥陀如来・・・なんまんだぶ.
お二人のコメントを読ませていただいて,改めて正信偈の句を読み返すと,二つの逆接が,殊に感銘深く,ありがたく感じられました.
阿弥陀さんの光は 無碍光 えお云われるように
障害物をものともせず進んでいるのに、私の目を覆う
疑蓋 とか 疑網 というのはよほど強力で通過できないの
だろうか?? と思っていましたが、通過して届いている事に
気がつかないでいるだけなのでしょう。鈍感というか居眠り
しているのか・・・・・・情けない