さいちがほとけを をがむじゃない
さいちがほとけに をがまれること
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.60)
この才市さんの歌と同じ味わいを題名とした『拝まないものもおがまれている』という本から引用します.
・・・地蔵峠と呼んでいる坂道は,とても自転車のペダルを踏んでは走れません.自転車を押して坂道を登ることになります.そしてお地蔵さまの前までくると,いつもハッとします.お地蔵さまが合掌して,私をおがんでくださっているからです.私が,ご挨拶も忘れて,風を切って走りすぎたときも,お地蔵さまはおがんでくださっていたにちがいないのです.・・・
でも,地蔵峠のお地蔵さまは,なぜ,どうして,私などをおがんでくださるのでしょうか.
私は,いつも,親鸞聖人のご和讃を思い出します.五濁悪時悪世界
濁悪邪見の衆生には
弥陀の名号あたへてぞ
恒沙の諸仏すすめたるというご和讃です.
・・・お地蔵さまは「わしへの挨拶は忘れてもいいが,十劫の昔から念じずめに念じ,願いずめに願ってくださっている阿弥陀さまのお呼び声,お念仏だけは忘れないようにしておくれよ」と,掌を合わせて頼んでくださっているのだと,気付かせていただくのです.
(東井,pp.11--13)
才市さんには,こんな歌もあります.
わしが如来さんを をがむじゃない
わしが如来さんに をがまれるのが
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.164)
【補足】
東井義雄『拝まないものもおがまれている』光雲社, 1986.
「はやぶさ」が帰ってきましたね.
「おおすみ」(日本初の人工衛星)が打ち上げられたとき,素直に感動しました.人が初めて月に降り立ったとき,アポロ計画に無関心,あるいは反対するア
メリカ人がいるという新聞記事が心に引っかかりました.そして,だんだん,巨大科学の進展を素直に喜べないようになっていきました.でも,今回は,久しぶ
りに感動しました.帰還に向かって黙々と働き続けた人々の思いに・・・.blogの更新をしようと電算機のスイッチを入れた後,「はやぶさ」が燃え尽きるヴィデオや写真を見,関係者のblog,
twitterなどを読み漁って,つい,時を過ごしてしまいました.
東井先生のお話は いいですね!!
いまはこの世に見えない方で 是非会いたい人のひとりです。
先日、同じ寺で聞法している女性と話していたら、彼女は亡くなった
前坊守さんに連れられて、東井先生のお話を聞くご縁に恵まれたとか。
うらやましい限りです。やはり 仏法は若きときたしなめ との蓮如さんのご催促が頷けます。テ-プや本でお会いはできますが、質問したりは
無理ですもんね。