お浄土は ひがしの門のいりくちに
如来さんは もんばんであります
さいちは きたか きたか
ようきた ようきた いうて
わしをほめなさる
ちゃんと うちねの《自分の家の》 如来さんでありました
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
ええたのしみだの
なむあみだぶつ
(『ご恩うれしや』p.72)
表題の‘welcome a baby into the world’とは,「子供の誕生を喜ぶ」と言う意味だそうです.いい表現ですね.下の,「誕生」を聞いたとき,辞書を引いて見つけました(辞書はこまめに引いてみるものですね).
Remember 生まれた時
だれでも言われたはず
耳をすまして思い出して
最初に聞いた Welcome
Remember けれどもしも
思い出せないなら
わたし いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること
(中島みゆき「誕生」)
孤独の「孤」は幼くして親がいないこと(孤児),「独」は年老いて子がいないこと(独居老人)だそうです.もちろん,親がいなくても,子がいなくても孤独ではない人もいますし,逆に,親がいても,子がいても孤独に苦しむ場合もあります.ですから,これは比喩と受け取るべきでしょう.上の歌詞に引き寄せて理解すれば,「孤」は,「Welcome」と言ってくれる人がいないこと,「独」とは,「Welcome」と言える相手がいないことではないでしょうか.
でも,私たちは孤独ではありません.私たち一人ひとりに,‘Welcome,よう人に生まれてきた,Welcome,次は必ずお浄土に生まれよ’と常に呼びかけてくださっているのが阿弥陀様です.そして,このわたしもまた,すべての人に対して‘生まれてくれてWelcome’と素直に言える身にならせていただく・・・「ええ たのしみだの,なむあみだぶつ」.
【補足】
中島みゆき「誕生」:『EAST ASIA』(1993) 所収).この歌について,中島みゆきについて,しゃべりだすと止まらなくなりそうなので,今回は,簡略に,そっけなくまとめました.と言いながらもう少し引用すると・・・
呼んでも,呼んでも,届かぬ恋でも
空しい恋なんてあるはずがないと言ってよ
待っても待っても戻らぬ人でも
無駄な月日なんてないと言ってよ
めぐり来る季節を数えながら
めぐりあう命を数えながら・・・
*
泣きながら生まれる子供のように
もういちど生きるため泣いて来た(いた?)のね
*
祈りながら,嘆きながら
とうに,愛を知っている
引用しだすと切りがない.鈴木君代さんの歌う「誕生」がネット上で聞けますので,ぜひお聞きください(西本願寺・聞法会館における鈴木君代さんライブ,2009.7.1).鈴木さんは,一箇所だけ‘Welcome’を‘ありがとう’と変えて歌っています.
中島みゆき氏本人の歌は,‘iTunes Store’で買えます(私はここで買いました).
因みに,うちの坊守は「ちゃんとうちねの如来さんでありました」という一句が好きだそうです.阿弥陀さんに‘うちねの阿弥陀さん’も‘よその阿弥陀さん’もないのですが,でも,‘よう来た,よう来た’と言ってくれるのは,やっぱり‘うちねの阿弥陀さん’ですね.
なんとまぁ,鈴木さんとはそういうご縁でしたか.私は,you tube で,いいなぁ,とちょくちょく聞いているだけです.ですから,「鈴木君代さん」という言い方はちょっとどうかなと思ったのですが,you tube の紹介文の通り呼ばせていただきました.「ちゃん」ですか.うらやましなぁ.しかし,まさか,こんな繋がりがあったとは・・・.
千手観音の話は初めて聞きました.「阿弥陀さんに1000本手が有ったら、千本こちらを向いていることでしょう」.味わい深い言葉を有り難うございます.『拝まないものも拝まれている』という(だったと思う)題の本がありましたが,この言葉の味わい深さが,最近,やっと感じられるようになりました.と言うわけで,blogの次のお題はこれに決定(^^).
人でも繋がりますね
鈴木君代ちゃんは私も良くしってますよ。彼女といつもジョイントしている
天白真央さんは我が寺の住職(先月継職したばかり)の従兄弟です。
うちの寺にも2回歌いにきてくらたことがあります。お西の関係での
活躍の方が多いようです。私も聞法会館でのライブを聞きに行ったことも
あります。
>,うちの坊守は「ちゃんとうちねの如来さんでありました」という一句が
好きだそうです.阿弥陀さんに‘うちねの阿弥陀さん’も‘よその阿弥陀 さん’もないのですが,
でもやっぱり うちねの如来さん ですよね。よそ見や浮気せずに私だけ
を願ってくださる方ですから、千手観音さまは千本の手のうち2本だけは
私に向けて合掌してくれているそうですが、阿弥陀さんに1000本手が有ったら、千本こちらを向いていることでしょう。